としまえんのあるところ ~練馬城ってそもそもなんなの?~
8月31日、ついにとしまえんが94年の歴史に幕を閉じた。
それを報じるニュースはどの局も、「練馬区にあるのに”豊島園”なのは豊島氏からきている」と名称の由来をマメ知識的に沿え、「閉園後は防災公園とハリーポッターのテーマパークになる」と報じて締めくくるものがほとんどだった。
そして早くも園内のアトラクションの解体が始まっている今、個人的にはこの土地の未来を考えるなら絶対に、この土地がどういう場所だったかを踏まえて行政には検討して欲しいと思っており、その為に多くの人にこの土地の事を知っていただく事が必要だと思う。
そこで今回はこの土地の歴史について、簡単にまとめてみることにした。
目次
元々景勝地だった「練馬城址としまえん」
「としまえんは元城跡である。」
ということは今でこそ情報としてマイナーだが、としまえん開園時は恐らく知らない人はいなかったと思う。なぜなら正式名称が「練馬城址豊島園」だったからだ。
元々この土地は練馬城の城山の麓に石神井川の水辺が広がる景勝地で、藤田好三郎という人物が、自分と家族の静養地として購入した土地を大正15年に庭園化して公開したのが豊島園のはじまりだった。
現在では周りは住宅街となり、石神井川も都市河川化してしまっているが、元々景勝地だったという事は留意すべき事実だと思う。
戦中は城山が高台で見晴らしが良かった事から、日本陸軍が敵機を発見するための防空監視哨という軍事施設を置いていた事もあった。
出典:
受付終了【ふるさと文化講座】初公開映像上映と解説~昭和初期の遊園地「豊島園」・「花月園」他~ | 展覧会・イベントほか | 練馬区立石神井公園ふるさと文化館・分室
その後としまえんは昭和26年に西武鉄道が買収し、遊園地としての色を強めていく。池を埋め立てて絶叫マシンが設置されたり、練馬城の城山の上にハイドロポリスが作られたりと、日本の高度経済成長、そしてバブル期を経て、景勝地としての「練馬城址豊島園」からテーマパークとしての「としまえん」へと変化していったのだ。
豊島氏と練馬城
としまえんの名前の由来になった豊島氏は、西暦1023年頃から1477年頃まで活躍した武士の一族だ。平安時代の坂東武者の勃興の中で興った武家であり、室町時代の関東の大戦乱である長尾景春の乱まで、約4世紀半南武蔵の有力な領主として君臨していた。
豊島氏は、元々秩父盆地にいた秩父氏という強大な武家の一族出身で、その一派が荒川を下り隅田川から武蔵野台地に入り込んで石神井川流域で土着化したものだ。
「なんで石神井川に?」
と思う人もいるかもしれないが、今でこそ石神井川は「都会の川」という雰囲気だが、武蔵野台地を流れる川としては最大級の川だということを覚えておこう。
豊島氏は石神井川最大の水源である三宝寺池のほとりに居城である石神井城を築き、赤塚の赤塚氏、志村の志村氏、葛飾の葛西氏などを支族として南武蔵に大きな力を持った。「足利武鑑」によればその石高は5万7500石。ちなみに一石とは人が一年間で食べるお米の量のことで、豊島氏は5万人以上の人々を抱えるだけの力があったということになる(実際に人口がそれだけあったかは分からない)。
しかし豊島氏は1476年、関東の大戦乱である「長尾景春の乱」に巻き込まれた。その時の当主であった豊島泰経は妻が長尾景春の兄弟だった事から(※諸説ある)景春側につき、景春討伐軍を率いた江戸城の太田道灌と合戦になった。
豊島氏は石神井城と練馬城から兵を率いて出兵し、「江古田・沼袋原の戦い」で道灌軍と激突。そこで大敗し、石神井城も攻め落とされて滅亡した。従って練馬城は直接の戦場とはなっていないが、現在は住宅街となっている江古田から沼袋にかけてはかつて「豊島塚」と呼ばれる豊島氏の軍勢が葬られた塚がいくつかあり、宅地開発の際には大量の人骨が出土したそうだ。
豊島氏の末裔を自称する人々は江戸時代、旗本の中に名前があったり、豊島氏の一族だった葛西氏は陸奥国中部(現在の宮城県~岩手県南部)で大名となり、豊臣秀吉の奥州仕置まで存続するが、南武蔵の豊島宗家はこうして室町時代後期に滅亡した。
豊島氏が滅亡すると、その城は太田道灌によって破却され、練馬城は城山のみが残ることになった。
ちなみに豊島氏については毎年5月に石神井城の城址である石神井公園で、彼らを偲ぶ照姫(てるひめ)まつりが行われている。区主催なので少し堅い感じもあるし、ちょっと着物が豪華すぎるのだが、機会があればぜひ行ってみて欲しい。
また、豊島氏について興味があれば「豊島氏千年の憂鬱」という本が非常に充実した内容でまとめられているので読んでみて欲しい。
ハイドロポリスの山が練馬城跡地
ところで、豊島氏はなぜ今の練馬区向山に練馬城を築いたのか。
その理由については資料として残されているものはないが、向山の土地の特徴を考えれば理解することができる。当時、武士というのは領主であり、領主にとって大事なのは領民の食べ物の確保であるから、食べ物を作る上で重要な水の要所に城を築いていたのだ。
石神井城が石神井川最大の水源である三宝寺池のほとりに築かれたように、練馬城の周辺は石神井川に大小さまざまな支流や沢が流入するスポットだった。
その最大のものはとしまえんから石神井川を上流へ500mほどいったところ、鉄塔の麓で合流している貫井川(今は暗渠になっている)であり、練馬城も石神井川に注ぐ二本の沢と、石神井川の谷の三方向を自然の掘として築かれた砦だった。
こういった沢は現在では谷底が埋め立てられ、地形が分かりづらくなっているものが多いが、としまえんの周辺に関しては正門を入ったところの土地が少し低くなっており、隣接する道路や向山庭園にも谷状の地形が続いていることで面影が残る。これが練馬城の東の沢だ。
城の西の谷は、流れるプールの真ん中にある競泳用プールの周辺が低くなっていたのがそれだ。流れるプールが谷をまたいでいるので少し分かりづらくなっているが、この地形も近接する道路まで谷が続いている。
開園間もない頃のマップを見ると明確で、練馬城の城山を挟むように沢とプールが谷状に描かれている。ウォータースライダーの城:ハイドロポリスの山は、石神井川の水の要所:練馬城だったのだ。
そして多くの人が気づいていないかもしれないが、今でもとしまえん付近の石神井川の護岸には湧き水が多く流れ出ている。コンクリート護岸になってもそこが水が豊かな場所である事は変わっていないのだ。
ちなみに・・・
ところで練馬城址豊島園のマップを見ると、「古城の喫茶」という建物がある事が分かるだろうか。城山の中腹に築かれた建物、実は今もその場所に残っている。
それが、「木馬の会事務所」だ。
なぜ日本の城跡に西洋風の建物なのか、と思う方もいるかもしれないが、この建物は豊島園のほぼ開園時からある築100年近い建物で、実際非常に趣がある。
としまえんを城山からずっと見守ってきたこの建物は、としまえん閉園後も練馬城址公園の中に残して欲しいと個人的には思う。
なお、初期の豊島園の地図や絵葉書をまとめているサイトを見つけた。
ここに掲載されている地図にはこの建物を「古城食堂」、絵葉書では「古城の塔」と書いており、名称は固定されていなかったのかもしれない。
またこのサイトの冒頭で紹介されている地図は1926年と非常に古く、競泳用プールが無くて小川が流れているのが必見だ。
http://web1.nazca.co.jp/fuk200260/page029.html
としまえんだったからこそ残された土地
さて、先にも書いた通り景勝地だったとしまえんは時代とともに遊園地・テーマパークと姿を変え、練馬城にはハイドロポリスが建ち、石神井川も都市化で堀込式の河道となって大きく姿を変えた。
しかしここがとしまえんだったからこそ残されてきたものがある。
城山の森は石神井川と接する北側部分にまとまって残っている。
また、昆虫館のまわりには、林床にアジサイが植えられた斜面林がある。この林はコナラやクヌギ等、武蔵野の雑木林を形成する樹種で成り立っており、先日放送された「鉄腕DASH」ではカブトムシやクワガタ、シャチホコガの他にタヌキの親子が生息している様子が紹介されていた。昆虫館では時々、この林で捕獲されたカミキリムシ等の甲虫類を展示していたのを覚えている。
練馬区には東上線沿線にも兎月園という初期の豊島園と同じような庭園と遊園地があったのだが、1943年に閉園すると宅地化され、今では面影もあまり無い。としまえんは確かに時代の流れの中で石神井川の水と城山の緑からは離れて行ったが、としまえんのお陰で守られた自然もあったのは事実である。
練馬城址公園に期待する事
としまえんの閉園には色々な声が上がっているが、個人的には時代の流れとして受け止めている。
たしかにまだやりようはあったのかもしれない。利用者数は減ったとは言え、年100万人というのは日本のテーマパークの中では上位だ。
ただし、昨年の決算を見ると純利益は50万円となっており、施設の補修やアトラクションの新築を見据えると非常に厳しい数字であることに変わりない。買い手がいるときに売ってしまうというのは経営判断としても間違っていないと思う。
ただ、遊園地としてのとしまえんの歴史が終わるのであれば、水と緑にあふれる場所を活かして整備される事が私の願いだ。なぜならその面影がとしまえんによって残されているからだ。
この土地にはとしまえんが残した緑がある。水辺は石神井川を活かせば再生できる。実際石神井川の流域では、東伏見や上石神井、南田中等で親水護岸が作られ水辺が再生しているところがある。
としまえんが無くなっても、この土地が練馬の人々に愛される土地になる事を祈っている。
※在りし日のとしまえんについてはこちらの記事も読んでいただければ嬉しい。