練馬区の本来の自然を大まかに知っておこう  ~としまえんの自然環境を考えるにあたり~

 としまえんの閉園に伴うスタジオツアー計画や練馬城址公園計画に対する疑問の声の中に、しばしば「自然環境の破壊」という単語が見受けられる
 確かに開発行為は基本的には環境の破壊だ。ただ、城址公園においては、都民が適切な声を上げれば自然環境の再生の機会もあると思っている。

 そこで、今回はとしまえん跡地の問題に限らず、我々に身近な練馬区「そもそもの自然ってどんな感じなんだっけ?」を紹介しようと思う。

 

 もちろん事細かにはとても紹介しきれないので、あくまでこれは概論だと思ってトリビアのつもりで読んで欲しい。

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明治神宮の樫と椎の森

目次

 

もともとの練馬の台地はシラカシの森


 その土地が本来どんな自然だったかについては、「潜在自然植生」を調べれば分かる。
 潜在自然植生とはその土地の気候を鑑み、神社の森の植生等を元に、そのまま人の手が加えられなければ主にどんな木々や草が生えているのかを専門家が科学的に予測したものだ。

 「本来の自然」とは、「潜在自然植生とその植生を好む動物たちによってできあがる生態系」と言っていいと思う。

 東京都環境局によれば練馬区の台地の潜在自然植生はほとんどが「シラカシ群集典型亜群集」となっている。要するに「シラカシが多い森」という事だ。

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練馬区の潜在自然植生

出典:

https://www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp/nature/green/green_biodiv/ns_guidelines.files/ns_guidelines_all.pdf

 

 シラカシ(白樫)とは樫の木の一つ。常緑樹で、冬も葉を落とさずに一年中艶のある濃い緑色の葉っぱをつけている。そのため、森の中は薄暗くなる事が特徴だ。
 「シラカシ群集典型亜群集」とあるが別にシラカシだけが生えていたわけではない。シラカシと競合する形で同じく常緑樹のアカガシ(赤樫)、スダジイ(椎の木)、タブノキ(椨)、杉なども生えていたと考えられる。

 また、そもそも自然の森というのは、一番高く聳える5m以上の木々(多くは15~20mくらい)以外に、十分な養分を得られるだけの隙間があれば中木(2~5m)や、低木(2m以下)も生え、常緑樹の森の中木や低木には日陰に強いアオキ(青木)やヤツデ(八手)、サカキ(榊)などが生えている。

 

 現在の練馬区にはそんな樫や椎の森が広く残されているところは無い。ただし、断片的には神社の境内や古い地主さんの家の敷地には残されているところもある。神社は「鎮守の森」と言って神様の森なので、基本的には人の手があまり加えられていないところが多いし、武蔵野台地の屋敷は空っ風から家を守るために敷地内に「屋敷林」を育てるところが多かったのだ。

 ちなみに石神井姫塚の上に生えているのはシラカシで、和田稲荷のように神社のご神木もシラカシだ。ぜひ近所の神社や屋敷林の森などの木を見てみて欲しい。

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姫塚のシラカシ



ところでブナって生えてないの?

 

 素朴な疑問として、「自然の森ってブナ(橅)の木じゃないの?」と思った人もいるかもしれないので、補足で説明をする。
 確かに橅も原生林で見られる木だが、椎や樫と決定的に違う事がある。それは冬に葉を落とす落葉広葉樹の木である事だ。

 これは何が違うかと言うと、「冬に雪が降った時に葉っぱが無いので木に雪が積もりにくい」という点だ。雪が降る地域で葉っぱをつけていれば、雪の重さに耐えられなくて倒木してしまう。だから、ブナは基本的には東北や日本海側の雪が降る地帯の木であって、関東では山の上にしか生えてない。逆に言えば関東でもブナが生えているところは「ああ、このあたりは冬に雪が結構積もるんだな~」っと想像する事ができる

 ちなみに、雪が降らない条件下であれば、葉を落とすブナに比べて一年中葉っぱをつけて成長し続ける樫や椎の方が強く、生存競争で優位になる。温暖化で降雪量が減れば、山の上でも徐々にブナの木が樫や椎にとって代わられる可能性もあり、そんなニュースも最近ちらほらと聞くようになったので、興味のある人はチェックしてみて欲しい。 


低地の湿地と練馬区の天然記念物

 

 続けて斜面を見るとシラカシケヤキ(欅)の林、水辺近くではハンノキとオニスゲの群集が潜在自然植生であると考えられている。
 オニスゲは水辺を好む水草、ハンノキは珍しく耐水性を持つ木だ。東京都内の低地ではハンノキの群落は結構珍しい存在になりつつあるが、練馬区民には見覚えのある人が多いと思う。三宝寺池の中の島に生えているあの木々、あれがハンノキだ

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三宝寺池のハンノキ林

 ただし、低地もあくまで「ハンノキとオニスゲが多い」というだけであり、実際には低地は水が溜まっていたり、流れていたり、普段は水が無いが雨が降ると頻繁に水に浸かっていたり、たまにしか浸からなかったり等色々な環境がある。その環境によって植物が異なり、様々な種類の植物が生えていた

 今では石神井川も白子川も川を掘り下げてしまい、低地も宅地化されてしまっているが、元々低地は川の水がいくつかに分かれて自由に流れ、雨が降れば谷底全てが水に浸かっていた
 それは、湿地が水田化されても変わらず、低地はずっと人が住めない土地だったのだ。


 ところで、練馬区には非常に珍しい天然記念物の水草の群落がある。それは三宝寺池の「沼沢(しょうたく)植物群落」だ。
 ここにはカキツバタコウホネ等に加えて、ミツガシワやヒツジグサなどの本来は高山植物であるはずの植物が生えている。これはなぜかと言うと、元々氷河期に生息していたそれらの植物が氷河期が終わって低地から消えていく中で、三宝寺池だけは冷たい湧水が豊富だったので生き延びる事ができたのだ。そのため、三宝寺池のそれらの植物は「氷河期の生き残り」として紹介されることもある。

 

 しかし、三宝寺池は宅地化が進む中で湧水が枯れ、現在は人工的にくみ上げた水で維持されている。これも併せて知っておいて欲しい。

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三宝寺池水辺植物園のミツガシワ



自然によるリセットと人による改変


 潜在自然植生とはあくまで「なにも無ければ」の状態を示すものだ。川の氾濫によって湿地の植物が流されたり、森の木は台風等で倒木したり、山火事で植生がリセットされるというのも自然現象にはあることだ。

 森はリセットされると草原となり、そこからマツを中心とした「一次林」コナラやクヌギを中心とした「二次林」を経て、「極相林」と呼ばれる樫や椎の森に戻る。植生とは極相状態になるまで何十年、何百年とかけて自然に遷移するのだ。

 

 中世以降、人は意図的に自然をリセットし、利用してきた。
 その一つが雑木林だ。雑木林とは人が手を入れて二次林のコナラやクヌギの林の状態を意図的に存続させた林のことを言う。
 なぜそういう事をするかと言うと、成長が遅く頑丈な樫や椎に比べると、コナラやクヌギは頑丈ではない代わりに成長がずっと早く、伸びた木を切っても比較的早く伸びるからだ。
 また、頑丈ではないというのは言い換えれば人が加工がしやすい。そうやって人々は雑木林から木材や薪を手に入れていた。またコナラやクヌギは落葉樹なので葉を落とし、落ち葉は「鋤き込み」という畑の土づくりの作業にも使われた。

 

 そして、武蔵野台地では中世までは焼き畑農業も盛んだったと言われている。
 これは武蔵野台地は火山灰による台地のため栄養が少なく、焼き畑によって土に養分を入れないと、作物が十分に育てられなかったためだ。焼き畑農業を終えると、その土地は武士が馬を放牧する「牧」となったり、植生遷移を経て再び森となり、また火を入れられて畑となったりを繰り返した。
 豊島氏をはじめとした「坂東武者」が関東で生まれたのも、武蔵野台地はそこら中に牧があったからというのも一因らしい。

 「焼き畑農業なんて環境破壊じゃないか」
と思う人もいると思う。確かに、その瞬間を見れば環境破壊だと思う。
 しかし、焼き畑農業の大事なところは同時に全部を焼くのではなく、範囲を決め都度場所を変えて行うことだ。こうして、台地の上に草原と一次林、二次林があちこちにある状態が作られていたのだ。同時に、神社の鎮守の森には極相林も残されたと思われる。
 安定して森がずっとあったわけではないが、常にどこかに草原が、どこかに森がある状態であれば、環境に多様性があるので生き物の多様性は豊かだったと思われる。

 

 なお、武蔵野台地の焼き畑農業は「中世まで」と言ったが、それは江戸時代には江戸の町の人々の糞尿を肥料とすることで、作物に適した土を作れるようになったからだ。練馬を代表する野菜、「練馬大根」が生まれたのもこの時代である。

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雑木林の林床にアジサイが植えられた、としまえん昆虫館付近

 

石神井川にホタルがいない理由


 現在、私たちは台地上も低地も等しく市街化し、人々が家やビルを建て、生活している。
 低地では、人がそれまで住めなかった湿地を失くすために盛り土をし、川は掘り下げられる事になった。
 元々谷底全てを氾濫原としていた川に、「人が掘り下げた河道の中だけにいろ」と言っている状態なので、大雨の時の川には、本来谷底を流れていただけの水が狭い河道の中に物凄い勢いで流れる事になる。

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豪雨時の石神井川(上石神井付近)



 ここで考えて欲しいのは、水の中に棲む生き物のことだ。元々は雨であっても谷底全てが氾濫原であれば魚は流れのゆるやかなところに逃げることができた。湿地が水田化された時代は水田に逃げることもできた。
 しかし、今の川では逃げ場がない。現在、都会の川は水質はきれいになったが、川には基本的に流れに強い種類しかいない。穏やかな流れを好む魚は流されてしまい、生きていけないのだ。

 

 また、元々石神井川にはホタルが生息していたが、今はいない。
 なぜかと言うと、高度経済成長期の水質悪化も一因だが、川を掘り下げたことで川が土と接しなくなった事がトドメとなった。ホタルは水辺の虫という印象があるが、サナギになるときは陸に上がって土の中でサナギになる。つまり土が無ければサナギになれずに流されてしまうのだ。

 川が掘り下げられるとホタルやイタチのように、水辺と陸を行き来する生き物はなかなか戻って来ることができないのだ。

 

 ちなみに、掘り下げられる前の川と谷の田んぼの姿は、練馬区のホームページで閲覧ができるので一度見てみよう。

www.city.nerima.tokyo.jp


カワセミが戻ってきた理由と、光が丘にフクロウがいる理由


 ところで最近、石神井川石神井公園カワセミを見る機会が多くなってきた。一見「自然が戻ってきた」と喜ばしい事に見えるが、実はこれにはカラクリがある。

 カワセミが一時、都会で減った決定的な理由は、カワセミの巣を作れる場所が都会に無かったからだった。カワセミは土が露出した崖に穴を掘って巣を作る。崖に作った穴であれば天敵の蛇や哺乳類も近寄れないのだが、こういった崖は基本的に川が土を削ったところにできるのだ。従って、石神井川も白子川も掘り下げてコンクリート護岸にしてしまったため、土の崖が無くなりカワセミも姿を消したのである。


 ところが、しばらくして人が作ったあるものにカワセミが巣作りをするようになった。それはコンクリート護岸の水抜き穴だ。

 コンクリートの護岸には、裏に水が溜まらないように必ず「水抜き穴」が作られている。時々湧水も染み出していたりするが、これが小さなカワセミの巣のサイズに丁度いいのだ。そして、今の川には流れに強い魚である「モツゴ」や外来種であるアメリカザリガニが多く生息している。これらがカワセミの餌のサイズとしてちょうど良かったのである。

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石神井川の護岸と水抜き穴



 また練馬区内では光が丘にフクロウやオオコノハズクが生息しているのだが、これにも理由がある。
 フクロウの仲間が都会から減った理由は、フクロウは木にできたウロ(樹洞)に巣をつくる鳥だからだ。今の東京にはウロができるような巨樹がほとんど無い。同じく、ウロで子育てをするムササビなども姿を消している
 しかし、光が丘ではバードサンクチュアリにフクロウ用の巣箱を設置している。フクロウにとって都会の林は木々が若すぎるので、人工的に巣箱を設置してあげないと生きていくことができないのだ。以下は巣箱設置をしているNPO法人生態工房のブログだ。

www.eco-works.gr.jp

 練馬区カワセミやフクロウが生息している背景にはそういった事情がある事も是非知っておいて欲しい。


都会の自然に目を向けてみよう

 以上、非常に大雑把ではあるが、練馬の本来の自然と人との関係を紹介した。

 
 としまえん問題は、「今まで当たり前にあったもの」を見つめなおす機会になってきているような気がする。それはとしまえんであり、区政や都政であり、そして身近な自然もそうだと思う。

 

 今回の件で、行政や議員さんと区民の関わり方を見つめなおした人もいると思う。それと同様に、身近な自然を見つめなおし、かかわり方、共生の仕方を考える機会にしてくださる人が増えると嬉しい