1990年、としまえんと子供たち

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としまえんの象徴、フライングパイレーツ

 練馬区というのは東京23区の中でも、どこか「東京じゃない空気」が漂う街だと思う。
 その空気の発生源は練馬大根をはじめとした農業、石神井公園と照姫まつり、雰囲気がどうしてもあか抜けない西武池袋線、そしてとしまえんだ。

 

 僕のような東京都西北部に住み、1990年代が児童期だった世代にとってのとしまえんは、あこがれだった場所であり、地元のシンボルのような場所だった。

 あのあたりに住んでいれば、親はまずはディズニーランドではなくとしまえんに子供たちを連れて行くのだが、そうでなくても幼稚園の遠足で行くこともあった。としまえんに行くことは、いわば小学校に入る前の通過儀礼のようなものだった。

 

 幼稚園の遠足ではもちろん絶叫マシンには乗れなかったが、「模型列車」に乗り、「昆虫館」に行けば大体の男の子たちは満足をした。
 模型列車は本物さながらの線路が敷かれた武蔵野台地の起伏の中を駆け抜け、昆虫館では普段見ることが無い貴重で鮮やかな昆虫の標本を見ることができ、まさに男の子にとっては「鉄道」と「虫」という幼稚園の二大ブームを満喫することができる場所だった。

 女の子はカルーセルエルドラドという、ドイツのミュンヘンで作られた世界最古クラスのメリーゴーランドが織りなす夢の世界に酔いしれた。

 

 そしてよく覚えているのが、最後に幼稚園の先生たちがトップスピンという絶叫マシンに乗っていたことである。
 なぜか若い先生たちが子供たちに手を振りながらマシンに乗り込み、マシンの稼働とともに悲鳴を上げる姿を副園長先生と笑いながら見た記憶は今でも鮮明だ。

 

 小学校に入っても、地元の子たちの夏休みの一大イベントは友達ととしまえんに行くことであり、遅かれ早かれそこで初めて絶叫マシンを体験するし、家族でプールに行くとなれば流れるプールとハイドロポリスがそびえるとしまえんはその候補の筆頭となった。
 としまえんは夏の間は水着でプール外のアトラクションに乗ることもできるので、本当に一日中遊べるパラダイスだった。

 

 そして家にいても、8月にはとしまえんの花火大会があるので、練馬区民の視線はとしまえんに向くことになる。
 としまえんまで行かなくても、基本的に練馬区は低層住宅街なので、僕が住んでいた家の3階の小窓からは花火を見ることができた。

 

 中学を経て、高校、大学となるといつの間にかとしまえんに行かなくなった。
 特に大学になると、テーマパークと言えばディズニーランドか富士急ハイランドになる。東京の別の区からも集まる高校、都外出身者もいる大学の友人と行くなら、地元のテーマパークではなく、世界的に有名なテーマパークか、トップレベルの絶叫マシンがあるところになってしまうのだ。

 

 だが、決してとしまえんを忘れていたわけではなかった。としまえんは僕の中であくまで、地元の、子供の時の思い出の場所だったのだ。

 アニメのドラえもんなどと一緒で、「自分は成長して離れていっても、きっと自分が大人になって子供が出来たら戻ってくる」と、そう思っていた。としまえんはずっとあって、地元の子供たちのあこがれの場所であり続けると、そう思っていた。

 

 しかしそれは思い込みだった。

 2020年8月31日をもって、としまえんの閉園が決定。

 

 たしかに以前から噂はあった。都が防災公園を作りたがっていること、そしてワーナーブラザーズがハリーポッターのテーマパークを作りたがっていること。でもそれはあくまで噂として聞き流していたし、「まさかとしまえんが無くなるわけがないだろう」と思っていた。

 

 思えば、シャトルループやトップスピン、フライングカーペットといった人気絶叫マシンは「老朽化」を理由に修理されることなくいつの間にか消えていた。
 「アフリカ館」があった場所はトイザらス庭の湯に変わっていた。

 僕が大人になるまでの間としまえんは大きく変わり、僕に子供ができる前にとしまえんは閉園する事になったのだ。

 

 最後にもう一度行きたい。

 そう思った僕はコロナ禍と分かっていたが、2020年の7月中旬、としまえんを訪れた。


(つづく)