練馬城址の大蛇伝説 ~石神井川には大蛇伝説がいっぱい~

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 当ブログ、「どこか、エコなフォークロア」はすっかりとしまえんネタが多くなってしまっているが、元々は一人旅好きで自然も歴史も好きな自分が、「なんとなく環境民俗学っぽい事を書いてみたい」と思って作ったものだ。

 ちなみに環境民俗学とは、民俗学」を自然環境の切り口から新たに研究する学問領域のことを言う。

 

 その視点は地方の村だけではなく練馬区にも向ける事ができるわけで、と言うよりも実は私が環境民俗学に興味を持った原因は練馬区にあるかもしれず、今回は今話題の練馬城の城山をはじめ、石神井川流域で「なんとなく環境民俗学っぽいこと」を書いてみたい。

 目次

 

練馬城址の城山の大蛇(五穀豊穣の神)

 

 「ねりまの昔ばなし」には「栗山の大蛇」という名前で、練馬城址の大蛇伝説が書かれている

 練馬城の城山の名称としては、矢野将監という人物を由来とする「矢野山」、松林があった事に由来する「松山」などがあり、実際豊島園開園前の大正時代のこの土地については、初期の豊島園設計者の戸野琢磨氏も

 

松林の眺望佳絶な豊島城址石神井川の清流

 

と書いており、松林が多かった事が伺えるが、大蛇伝説では栗が生えていた事に由来する「栗山」という地名で登場する。

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練馬城の城山

 その伝説は要約すると以下にようなものだ。

 

 練馬城が落城し、荒れ果てた城山が栗山と呼ばれるようになると、ある大蛇が住み着くようになった。大蛇は普段栗山の中にいたが、石神井川の支流の小川の谷まで時々下りてきた。

 人前に姿を現す事は無かったが、大蛇が下りてくると小川の湿地に大きな蛇が通った跡が残り、この跡が無いと付近の村は凶作になった。
 そこで付近の人々は毎年、大蛇の跡が現れるのを待つようになった。

 

  ここに出てくる小川については、豊島園周辺は石神井川流入する小川が元来複数あったので、どれの事を指すのかは分からない。

 大蛇の通った跡とは個人的な推測だが大雨の後の流路跡を意味し、普段流量の少ない小川が複数に分かれて流れるくらいに雨が降れば、日照りが続かない=凶作にならないという意味ではないかと考えられると思う。

 

 このように栗山の大蛇は豊作をもたらす五穀豊穣の神だったが、蛇は様々な性格を持つ存在であり、五穀豊穣の神以外にも、水の神、幸運の神だけでなく、ヤマタノオロチのように洪水や災害の化身であったりもした。

 練馬区には他にも様々な性質の蛇の話がある。

 

堰ばあさんの一本松(水の神と健康・長寿の神)

 練馬総合運動場付近の石神井川の護岸の桜並木に、一本だけ松がある事をご存じだろうか。あれは「堰ばあさんの一本松」という松で、現在の木は二代目だが「堰ばあさん」の昔話が伝わっている。

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堰ばあさんの一本松(二代目)

 この付近の糀屋(こうじや)という土地は、毎年川が氾濫していたので、人々はその治水のために堰を作ることにした。ただ堰を作る以上は番の役目を負う人が必要で、ある身寄りのないおばあさんがその役目を負う事になった。
 いつしかそのおばあさんは「堰ばあさん」と呼ばれ、人々から感謝され、大事に思われていたが、あるときそのおばあさんがいなくなり、代わりにおばあさんが座っていた座布団の上に蛇が現れた。
 人々はそれを堰ばあさんの化身だと考え、祠を立てお祀りした。
 いつしかその祠の下の石神井川の水は子供の咳にも効くと言われるようになり、多くの人が訪れるようになった。御利益があった人は幟旗(のぼりばた)を奉納したので、付近は大小ざまざまな旗がはたく華やかな場所となった。

 時は流れ、今では祠の隣にあった松の二代目の木が残るのみになっている。
 この堰ばあさんの話は明らかに水の神である蛇の話で、堰を管理してくれていたおばあさんが亡くなった時に、その存在を水神である蛇と同一視したという事だと思う。

 

 また「咳に効く」というのは唐突なイメージがあるかもしれないが、蛇は「健康」「長寿」の神という顔も持つ。というのも蛇は脱皮する生き物であり、脱皮してまるで生まれ変わる様子から人々は「再生」を想起していたのだ。その結果、「咳」と「堰」が同じ発音であることにあやかり、「咳に効く」という性格も付け加えたのだろうと思われる。

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現地にある解説


高稲荷の大蛇と早宮の白蛇・黒蛇(水害の化身と幸福の神)

  高稲荷にある高稲荷神社は、石神井川の低地に少し突き出した台地に稲荷神社が鎮座する場所だ。一度行けばなかなか印象に残る立地の神社だと思う。

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高稲荷神社

 実はこの神社の創建も大蛇が絡んでいるという伝説がある。要約するとこんな話だ。

 

 元々今の高稲荷公園には大蛇が住む、薄暗くももみじの美しい沼があった。そのもみじの美しさは見物に来る人もいるほどで、その中には美しい娘もいたので近くの篠氏の若者は娘に会いに、表向きは魚を取るために釣り竿をかついで沼によくやってきていた。

 ある日、若者が沼に来ると娘の姿がなく、探すと沼の奥の薄暗い淵に立っていた。若者が近づこうとすると足を滑らせ、沼の奥へと引き込まれてしまった。
 村の人は沼のヌシが引きずり込んだに違いない考え、若者の霊を慰めるために祀った。それが高稲荷神社のはじまりだった。

 

 これには災害としての蛇の姿が見られると思う。

 ちなみに、蛇なのになぜ稲荷なのかと思う方もいるかと思うが、狐は稲荷神の眷属(使い)であり神様そのものではないこと、そして稲荷神は農耕の神であることから蛇神との関係が元来強いので、決して不思議な話ではない。

 日本の神社は先に神様があるとは限らず、先に神聖視されていた場所があり、そこに日本神話に登場する神様を見出し祀っている場所も多くある。従って、高稲荷の場合は先に高稲荷の沼という神聖視されていた場所があり、後から勧請されたのが稲荷神社だったのだ。

 ちなみに稲荷神社も神社によって祀られている神様が違ったりする。主にウカミタマ神とウケモチ神が祀られているが、地元の神様を祀ってそれをいずれかの神様と同一神だとみなしている場合もある。

 ちなみに高稲荷神社の祭神はウケモチだが、ウケモチ神は日本神話の中ではツクヨミノミコトに切り殺されてしまう不憫な神様である。

 

 さて、高稲荷や練馬城址の対岸、早宮にはまた性質の異なる蛇の話がある。それが「白蛇と黒蛇」という話だ。

 

 早宮には芹沢家という旧家があるが、ある冬の日、突然天井から真っ白な蛇が現れた。蛇は部屋を横切ると真っすぐに北へ向かい、旧東中ノ宮(春日町一丁目)のあたりで消えていった。それ以降、しばらく芹沢家では良くない事が続いたという。

 一方その東中ノ宮のあたりには植松家という旧家があった。そこには一族の守り神である稲荷神社が祀られた丘があり、境内には大木があったのだが、老木だったためある日切り倒してしまった。

 すると毎年病人が出たり農作物が不作だったりと良くない事が続いたので、行者さんに占ってもらった。すると、大木の根元に住んでいた脇腹に赤い2本の筋がある黒蛇が住処が無くなったため植松家を恨んでいるという事が分かった。
 そこで植松家では池を掘って弁財天を祀り黒蛇に住処を与えると災いが無くなった。

 

 これらは幸福の神としての蛇の性質が見て取れる昔話だ。しかし、練馬区に伝わるこれらの話は蛇がいなくなったり、住処を奪うことで不幸になる話なのが興味深い。

 春日町付近には複数の稲荷神社があるが、そのうちの一つは確かに丘の上にあるものがある。これが黒蛇の住む大木があった稲荷神社かは分からないが、私たちは昔話の地と隣り合わせで暮らしているということが実感できる。

goo.gl

 

三宝寺池のヌシ

  さて、練馬区内で最も有名なのがこの三宝寺池のヌシだろう。

 三宝寺池は区内の多くの沼が池が埋め立てられてしまった中で残っている数少ない池であるとともに、昔から善福寺池井の頭池と並ぶ「武蔵野三大泉」という湧水の豊かな池として知られており、神聖視されていた。

 三宝寺池は元々は石神井川本流の水源としてみなされており(現在の小金井から石神井台の区間は支流という扱いだった)、下流の四十の村々の人々から崇敬を受け、鳥や魚をとることも禁じられていたほどだった。

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三宝寺池


 それを代表するように、三宝寺池にはヌシとは別に鳥居を頭につけた魚の伝説がある。それは三宝寺池には頭に鳥居をつけた魚がおり、間違えてこれを捕まえると、頭がおかしくなったり、目がつぶれたり、腰を痛めるといった災厄に襲われる、というものだ。恐らく生き物を捕まえる事を禁じる中で発生した話だと思われる。 

 そしてヌシの話として伝わる話も、三宝寺池で魚をとることを禁じる事に繋がる話だ。

 

 明治初頭、三宝寺池である男が一人で釣りをしていた。
 あまり釣れないので、もう少し深みのところへ行こうとすると、松の大木のようなものが浮いていた。男がそこへ飛び移ると、急に動き始めて波がたち、みるみる池の底へ沈みはじめた。

 青くなった男はむちゃくちゃに泳いで岸に這いあがり、死に物狂いで逃げ帰った。

 

 このヌシは明治8年にも目撃されており、三宝寺に絵が奉納されている。一般の人が見る事はできないが、耳が生え、アゴヒゲを生やした大蛇の姿で描かれているそうだ。

 三宝寺池のヌシはまさに水神そのものであると思われ、水の源である三宝寺池を守るために人が手が加えてはいけないという警告と池そのものへの畏敬の念が具現化したものだと考えていいと思う。

 

 ところでこの三宝寺池には別の池に住んでいたヌシもいるらしい。それが「三枚の鱗」という話に伝わっている。これも明治初頭の話だ。

 

 秋の夕方、石神井村からやってきた人力車が稲付村でお客を下ろした帰り道、美しい娘が声をかけてきた。娘は石神井まで乗せて欲しいというので石神井村までやってくると、あたりに家の一軒もない三宝寺池の近くで下ろして欲しいと言ってきた。
 娘は男にお礼に立派な紙に包まれたずっしりとした重みのあるものを手渡し、
「家に帰るまで開けてはいけない。」
と言った。
 男は不思議に思ったが受け取ると、娘はフクロウの鳴く森の中へと消えていった。
 その頃の三宝寺池のまわりは昼でも薄暗く、淋しいところだったので、男は不思議さと心配な気持ちから娘を追いかけることにした。
 池のほとりで女の人を見つけ声をかけようとすると、女の人が振り向いたとたん、目が青白く光、口は裂け、髪を振り乱し、頭には角が生え、あっと言う間に池に飛び込んでいった。そしてその直後に池から大蛇が姿を現し、真っ赤な口を開けて水を吐き出しながら池の中央へと進み、消えていった。
 男は動けなくなって池のほとりに座り込んでいたが、やがてはうようにして森を抜け、石神井の村まで戻り、自分の見た事を村人に伝えた。村人に
「何か証拠はあるのか」
と言われ、男は手渡されたものを開けてみるとそこには金と銀の不思議な模様のついた大きな鱗が三枚入っていたという。
 その数日後、稲付村にあった弁財天が祀られる「亀ヶ池」が以前から小さくなっていたがとうとう無くなってしまったという噂が男の耳に入ってきた。

 

 この亀が池の弁財天は「亀が池弁財天」という名前で現在も残っている。

www.kanko.city.kita.tokyo.jp

 亀ヶ池の谷は石神井川とは別の川の谷だが、江戸時代に石神井川から引かれた用水路である石神井中用水」に亀が池から流れ出た川も合流しており、三宝寺池と亀ヶ池は間接的に繋がっていた。

 明治以降湧水の枯渇や埋め立てにより大小の沼が無くなっていく中で誕生した話としてとても興味深いと思う。

goo.gl

 

穴弁天の宇賀神

 ところで三宝寺池には今でも年に一度だけ今でも実際にお会いすることができる蛇の神様がいることをご存じだろうか。

 それが三宝寺池の宇賀神だ。

 

 宇賀神は日本神話には登場しない中世以降に祀られるようになった神様で、人の頭に蛇の体の姿をしている。その正体は神話の五穀豊穣の神の一柱であるウカミタマ神と、ヒンズー教と仏教の神様である弁財天が習合したものだと言われており、宇賀弁天とも言われる。

 ちなみに、日本の弁財天は一般的にはイチキシマヒメという神様と習合して弁天堂や弁天社に祀られている事が多いが、宇賀神が弁天堂や弁天社に祀られている事もある。

 

 どこに祀られているかと言うと三宝寺池のほとり、「穴弁天」と呼ばれるほら穴の中だ。この洞穴は普段は入口の鍵がかけられていて入れないが、年に一度だけ、4月の上旬の厳島神社の例祭の日に入ることができる。

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穴弁天

 中は意外と奥行があり、その奥に三宝寺池の底で見つかったとされる人頭蛇尾の宇賀神の像が鎮座しているのだ。

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穴弁天内部


 ちなみに日本の神様は元来、偶像崇拝の習慣がない。しかし宇賀神はこのように像が多く作られ、まさに偶像崇拝の仏教と精霊信仰の神道神仏習合によって生まれた神様だと言える。

 


 このように練馬区内にも蛇一つとっても様々な伝説が残り、様々な神様がいたことが分かる。これはなによりも、石神井川の恵みによって昔の練馬の人々は生活し、石神井川三宝寺池を畏敬していた証だ。

  都市化によってすっかり都市河川化、公園の池化してしまったが、こういった昔話を知ることで、人々がその恵みに感謝していた時代をイメージしてもらえたら嬉しく思う。

 興味のある人はまずはぜひ、「ねりまの昔ばなし」を読んでみていただきたい。

 

www.neribun.or.jp

『古城の塔』の保全・活用キャンペーンを立ち上げました

 以前「としまえんのあるところ ~練馬城ってそもそもなんなの?~」という記事でも紹介したが、としまえんには築90年以上の歴史を持つ建物がある

hidephilax.hatenablog.com

 それがゲートの左手に奥にあった「木馬の会事務所」の建物だ。立地的にはハイドロポリスが聳える練馬城址の城山の中腹に位置している。

 この建物については、前述の記事を書いた時点では築90年以上の建造物である事は分かっていたが、設計者も知らなければ文化財等にも登録されていないので、ただ「歴史があるイイ感じ建物」くらいに認識していた。そしてなんとなく、「この建物は残すべきだよなぁ」と思いつつも、「自分が好き」以外に明確に保全すべき根拠がない状態だった。

 しかし、色々調べていくと文化的な価値をきちんと調査・整理すれば、行政に認めてもらえる可能性のある施設であると思うようになってきた。
 そこでこの度、change.orgに下記のキャンペーンを立ち上げる事にした

chng.it

 今回はその建築物についてとキャンペーンについて、お話をしていきたい。

 

目次

 

建物の名前と完成年は?

 石神井公園ふるさと文化館の特別展「夢の黄金郷遊園地展」の冊子に掲載の資料を確認していくと、その当該建築物の名称は各資料ごとに以下のように書かれている。

(年)     (資料名称)     (建物名称)
昭和3年    練馬城址豊島園全景  古城ノ食堂
昭和5~7年頃 新装の豊島園案内   古城の食堂
昭和5~7年頃 練馬城址豊島園全景  古城の食堂
昭和7年    練馬城址豊島園全景  古城の食堂
昭和10年   豊島園絵葉書     古城の塔
昭和13年   練馬城址豊島園絵葉書 古城ノ食堂
昭和13年   豊島園全景      古城の喫茶
昭和13年   豊島園絵葉書     古城
昭和26年   豊島園園内案内図   展覧会場・喫茶
昭和30年   たのしい遠足案内   古城
昭和30年   豊島園園内案内図   古城・喫茶
昭和30年代  豊島園絵葉書     古城
昭和30年代  豊島園園内案内図   古城ホール
昭和45年   豊島園案内図     古城ホール
平成28年   Toshimaen Guide&Map 木馬の会

 名称は時代によって変わっているが、少なくとも昭和3年にはこの建物が食堂として利用されていたことが分かる。
 また、名称が書かれていないので上記には並んでいないが、大正15年の開園時の「練馬城址豊島園全景」にはかなり簡略された形で当該の建物と思われる建築物が描かれており、開園時に既に建っていた可能性もある。正確な完成年については現在引き続き調査していく。
 この建物の名称はまとめた通り初期は「古城の食堂」「古城の塔」、昭和10年頃から30年頃まで「古城の喫茶」、「古城」、あるいは「展覧会場」と「喫茶」と別に書かれる事もあり、昭和30年以降に「古城ホール」、そして近年は「木馬の会」となった。
 恐らく当初、古城というのは「練馬城址」を指していたと考えられるが、昭和10年頃から園の名称の冠に「練馬城址」という言葉が表記されなくなると、園内での城址の存在が薄れ、建物自体が西洋の古城を模したものであったものであったから、単に「古城」とも呼ばれるようになったのだと私は推察している。
 いずれにしても少なくとも築92年、開園時に完成していたのであれば築94年(令和2年現在)の建造物であるということになる。

 なおキャンペーンではこの中から、建物の用途名である「食堂」「喫茶」「展覧会場」「木馬の会」は除外し、「古城」は練馬城との混同が考えられる事から避け、残る「古城の塔」「古城ホール」のうち、古い方の「古城の塔」を当該建築物を指す言葉として採用している。

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近年は木馬の会事務所だった当該建築物

オーナーの藤田好三郎氏と設計者、戸野琢磨氏

 初期の豊島園は練馬城の城山の麓に石神井川の水辺が広がる景勝地で、藤田好三郎という人物が、自分と家族の静養地として購入したものを大正15年に庭園化して公開したのがはじまりだった、というのは以前ブログに紹介した通りだが、藤田好三郎氏が庭園の設計を依頼したのは戸野琢磨氏という造園家だった。

 大正15年の練馬城址豊島園の「設立の趣旨」とともに書かれた「組織設備の概要」の一部にこういう一文がある。

 之れ(藤田孝三郎氏)が設計に任じましたのは戸野琢磨氏で、氏は帝大卒業後に渡米コーネル大学ランドスケープ、アーキテクチュア科に入り、業を了へ更に大学院に進み同大学にて教鞭を取り数年前に帰朝しました。又欧州にも遊学し、特に伊太利で造園学を専攻した人物で我が邦に於ける斯界の権威者でもあります。斯かる次第でありますから其設備は一切俗悪に陥ることを避け趣味と実益とを得せしむることに力めたのであります。


 この戸野琢磨氏については彼を顕彰し、経歴を紹介したサイトは日本語では今のところないのだが、ワシントンD.Cに本部を置くThe Cultural Landscape Foundation(文化的景観財団)によれば、

He returned to Japan in 1923 and took a teaching position at Tokyo Agricultural University, where he eventually became head of the landscape architecture department.
(彼は1923年に日本に戻り、東京農業大学で教職に就き、最終的に造園学部長になりました。)

引用元:Paul Takuma Tono | The Cultural Landscape Foundation

とあるので、1923年(大正12年)に帰国した新進気鋭の造園家である戸野氏に藤田氏はすぐに豊島園の設計依頼をかけていたという事になる。
 なお、この藤田好三郎という人物は旧安田楠雄邸を建てた人物でもあり、この点から見てもいわゆる普請道楽タイプの富豪であった事が伺える。同氏についてはまだ十分に調べきれていないのだが、彼についても資料が集まればキャンペーンの方で紹介していきたいと思っている。

www.national-trust.or.jp

 そんな先見の明を持った藤田氏が豊島園を託した戸野琢磨氏は、その後に様々な造園設計を担当し、日本造園学会の名誉会員にも選ばれるわけだが、彼の作品で最も有名なものが、ポートランド日本庭園だ。
 ポートランド日本庭園は1967年に開園したアメリカのワシントンパークの中にある22,000 ㎡もの広大な日本庭園であり、年間30万人が訪れる観光名所である。庭園築造と維持管理・運営管理において1991年まで一貫して日本人造園家が携わる「ディレクターシステム」を行ってきた事でも知られ、北米に於ける日本の伝統文化の発信、文化交流の拠点としての役割も担ってきた。
 
 本キャンペーンの開始にあたって一つ疑問だったのは造園家である戸野琢磨氏が果たして建物の設計まで担っていたのか、であった。
 しかし、戸野琢磨氏は自身の事務所として野志村建築事務所設計を設立し、建築物も取り扱っていた事、当時の建築雑誌である「建築新潮」に「練馬豊島園諸建造物及平面図(二葉)(戸野志村建築事務所設計)」というものが掲載されている事が分かった事から、戸野氏自身が詳細図面を書いたかは分からないにしても、少なくとも庭園の施設として古城の塔を計画したのは間違いないと思われる。
 従って古城の塔は藤田孝三郎氏が開園し、戸野琢磨氏が設計した開園当時の豊島園を今に伝える施設であるとも言えると思う。
 この「練馬豊島園諸建造物及平面図(二葉)(戸野志村建築事務所設計)」については近日中に入手予定である。

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昭和5年の練馬城址豊島園

引用元:

受付終了【ふるさと文化講座】初公開映像上映と解説~昭和初期の遊園地「豊島園」・「花月園」他~ | 展覧会・イベントほか | 練馬区立石神井公園ふるさと文化館・分室

古城の塔と本キャンペーンの特徴

 さて、キャンペーンを立ち上げたものの、本件はchange.orgに掲載されている他の歴史的建築物の保全キャンペーンとは明らかに性質が異なる点が2つある。

 一つ目は、他のキャンペーンは基本的に「解体計画」が既に浮上しており、それに対する反対運動であるのに対し、古城の塔については解体するとも保全するともまだ特に何も決まっていない点だ。
 東京都公園審議会の資料には今のところ練馬城址公園の計画において、古城の塔の保全について言及している様子は無い。また、西武鉄道に問い合わせたところ「東京都と弊社間での木馬の会の建物に関する保全につきましては、従前も含め、現時点においても保全等について東京都と意見を交わしたことはないとのことでございます」との返答だった。

 そもそも古城の塔の敷地がいつ西武鉄道から東京都に譲渡されるのか、その時には既存の建物は全て解体されているのかいないのかも現時点では分かっていない。
 そのため反対運動としてではなく、練馬城址公園の計画が進む中で間違って解体されないように、西武鉄道にも東京都にも保全して欲しい事を求める、というのが目的の一つ目となる。

 二つ目は、古城の塔が今までずっと豊島園の敷地内にあった事もあり、特に文化財等には指定されていない事だ。これには当該建築物が有名建築家による設計ではないという事もあると思う。あくまで戸野琢磨氏は造園家であり、古城の塔は庭園の一施設だったからだ。
 古城の塔は練馬城の城山の中腹に建てられた、西洋の古城を模したコンクリート建築物である。従って、同時期の建築物で文化財に登録されているモダニズム建築や帝冠様式の建物とは一線を画していると思われる。
 従ってもちろん建築物としての価値の検証も必要だが、古城の塔は極めて造園学寄りな建物であり、造園学を切り口に文化的価値を掘り下げる必要があると考えられる。それが目的の2つ目になる。

 なお、キャンペーン開始前の10月20日練馬区文化財の担当部署である練馬区地域文化部文化・生涯学習、および東京都の文化財の担当部署である東京都教育庁地域教育支援部管理課文化財保護担当電話でヒアリングを行った。
 ヒアリングした内容は「①古城の塔を知っているか」、「②文化財登録の可能性はあるか」、「③区文化財、都文化財、東京都選定歴史的建造物のどれが妥当と思われるか」の3点。
 練馬区の文化・生涯学習課は学芸員の方が応対して下さった。返答内容としては、①②については「地権者の意向が重要。文化財は地権者が保有する前提で、地権者に保全する意向があるかどうかが重要になる。それがないと対象にならない。」③については「それはどの組織が調査し始めてどの組織が登録するかの線引きは大まかにしかなく、区登録か都登録かは結果論。」とのことだった。
 一方で東京都の文化財保護担当は基本的に「ノーコメント」。それは、「文化財の保護というのは都民に言われてやるものではなく、文化財保護担当が学術的に価値を調べ、登録すべきものであるから。」とのことだった。

 そこでこのキャンペーンでは、市民の声として古城の塔を保全して欲しいという声を集めて届けると同時に、資料収集や情報収集に尽力し、この建築物の価値を再発見していくことも重要であると思っている。
 署名を関係機関に提出する時に、古城の塔の文化的価値を自信を持って伝える事ができる状態にすることを目標としたい。

今後のアクション予定

 10月27日にスタートしたこのキャンペーンだが、当面は賛同する皆様の署名を集めながら私と協力者の皆様で地道に資料を集め、文化的価値を証明していく事を主に行っていきたいと思っている。

 しかし実質私個人のアクションとしては調査・研究へ時間を割く事が予想されるので、街で立って署名を呼びかける、みたいな事はほとんどできないと思う。そこで、賛同された方から署名の輪が繋がるように、キャンペーンページのQRコードがついたチラシ等は早急に用意したいと思っている。

 今のところインターネットのciniiやJ-stageにある戸野琢磨氏関連の論文は一通り閲覧し、本来なら国立国会図書館等で論文収集もしたいのだが、残念ながら新型コロナウィルスの影響で、入館が制限されており、閲覧予約は少し先となっている。専門機関が持っている図書館の蔵書であれば予約なしでも見られる場合もあるが、基本的にそういう施設は平日限定、しかも閉館時間もかなり早いのが悩ましい。

 また「文化的な価値の発見」をする上では専門的な知見も必要としており、立ち上がったばかりのキャンペーンであるので、まずは私自身の人脈や協力者の方々のお知り合いを当たっている。
 こういった資料収集は複写代がかかるとともに、専門家に知見の提供を求める際は少額でもきちんと謝礼をお渡しするのが礼儀だと思っている。そこでまだ立ち上がったばかりで準備ができていないが、今後は寄付金を募る事も考えたいと思っている。

 

 一旦の目標は「パブリックコメントまでにキャンペーンを形にすること」パブリックコメントの時点で公園の計画を立てている人々と、都民に古城の塔の価値が浸透しているようにしたい。それ以外にもやりたい事はあるが、最初から色々書くのもどうかと思うので一旦はここまで。進捗については適宜キャンペーンサイトやそれに関連するSNS(noteやFacebookページを作成予定)で発信できればと思う

 

 本キャンペーンを通して、都会に住む人々が自分たちの住む街の歴史や自然を見つめなおすきっかけとなったり、いまだにスクラップアンドビルドありきの行政の地域づくりに一石を投じるものになれば、尚嬉しく思う。

 

追記

以後、古城の塔については下記noteに更新していきますのでご覧ください。

note.com

練馬区の本来の自然を大まかに知っておこう  ~としまえんの自然環境を考えるにあたり~

 としまえんの閉園に伴うスタジオツアー計画や練馬城址公園計画に対する疑問の声の中に、しばしば「自然環境の破壊」という単語が見受けられる
 確かに開発行為は基本的には環境の破壊だ。ただ、城址公園においては、都民が適切な声を上げれば自然環境の再生の機会もあると思っている。

 そこで、今回はとしまえん跡地の問題に限らず、我々に身近な練馬区「そもそもの自然ってどんな感じなんだっけ?」を紹介しようと思う。

 

 もちろん事細かにはとても紹介しきれないので、あくまでこれは概論だと思ってトリビアのつもりで読んで欲しい。

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明治神宮の樫と椎の森

目次

 

もともとの練馬の台地はシラカシの森


 その土地が本来どんな自然だったかについては、「潜在自然植生」を調べれば分かる。
 潜在自然植生とはその土地の気候を鑑み、神社の森の植生等を元に、そのまま人の手が加えられなければ主にどんな木々や草が生えているのかを専門家が科学的に予測したものだ。

 「本来の自然」とは、「潜在自然植生とその植生を好む動物たちによってできあがる生態系」と言っていいと思う。

 東京都環境局によれば練馬区の台地の潜在自然植生はほとんどが「シラカシ群集典型亜群集」となっている。要するに「シラカシが多い森」という事だ。

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練馬区の潜在自然植生

出典:

https://www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp/nature/green/green_biodiv/ns_guidelines.files/ns_guidelines_all.pdf

 

 シラカシ(白樫)とは樫の木の一つ。常緑樹で、冬も葉を落とさずに一年中艶のある濃い緑色の葉っぱをつけている。そのため、森の中は薄暗くなる事が特徴だ。
 「シラカシ群集典型亜群集」とあるが別にシラカシだけが生えていたわけではない。シラカシと競合する形で同じく常緑樹のアカガシ(赤樫)、スダジイ(椎の木)、タブノキ(椨)、杉なども生えていたと考えられる。

 また、そもそも自然の森というのは、一番高く聳える5m以上の木々(多くは15~20mくらい)以外に、十分な養分を得られるだけの隙間があれば中木(2~5m)や、低木(2m以下)も生え、常緑樹の森の中木や低木には日陰に強いアオキ(青木)やヤツデ(八手)、サカキ(榊)などが生えている。

 

 現在の練馬区にはそんな樫や椎の森が広く残されているところは無い。ただし、断片的には神社の境内や古い地主さんの家の敷地には残されているところもある。神社は「鎮守の森」と言って神様の森なので、基本的には人の手があまり加えられていないところが多いし、武蔵野台地の屋敷は空っ風から家を守るために敷地内に「屋敷林」を育てるところが多かったのだ。

 ちなみに石神井姫塚の上に生えているのはシラカシで、和田稲荷のように神社のご神木もシラカシだ。ぜひ近所の神社や屋敷林の森などの木を見てみて欲しい。

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姫塚のシラカシ



ところでブナって生えてないの?

 

 素朴な疑問として、「自然の森ってブナ(橅)の木じゃないの?」と思った人もいるかもしれないので、補足で説明をする。
 確かに橅も原生林で見られる木だが、椎や樫と決定的に違う事がある。それは冬に葉を落とす落葉広葉樹の木である事だ。

 これは何が違うかと言うと、「冬に雪が降った時に葉っぱが無いので木に雪が積もりにくい」という点だ。雪が降る地域で葉っぱをつけていれば、雪の重さに耐えられなくて倒木してしまう。だから、ブナは基本的には東北や日本海側の雪が降る地帯の木であって、関東では山の上にしか生えてない。逆に言えば関東でもブナが生えているところは「ああ、このあたりは冬に雪が結構積もるんだな~」っと想像する事ができる

 ちなみに、雪が降らない条件下であれば、葉を落とすブナに比べて一年中葉っぱをつけて成長し続ける樫や椎の方が強く、生存競争で優位になる。温暖化で降雪量が減れば、山の上でも徐々にブナの木が樫や椎にとって代わられる可能性もあり、そんなニュースも最近ちらほらと聞くようになったので、興味のある人はチェックしてみて欲しい。 


低地の湿地と練馬区の天然記念物

 

 続けて斜面を見るとシラカシケヤキ(欅)の林、水辺近くではハンノキとオニスゲの群集が潜在自然植生であると考えられている。
 オニスゲは水辺を好む水草、ハンノキは珍しく耐水性を持つ木だ。東京都内の低地ではハンノキの群落は結構珍しい存在になりつつあるが、練馬区民には見覚えのある人が多いと思う。三宝寺池の中の島に生えているあの木々、あれがハンノキだ

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三宝寺池のハンノキ林

 ただし、低地もあくまで「ハンノキとオニスゲが多い」というだけであり、実際には低地は水が溜まっていたり、流れていたり、普段は水が無いが雨が降ると頻繁に水に浸かっていたり、たまにしか浸からなかったり等色々な環境がある。その環境によって植物が異なり、様々な種類の植物が生えていた

 今では石神井川も白子川も川を掘り下げてしまい、低地も宅地化されてしまっているが、元々低地は川の水がいくつかに分かれて自由に流れ、雨が降れば谷底全てが水に浸かっていた
 それは、湿地が水田化されても変わらず、低地はずっと人が住めない土地だったのだ。


 ところで、練馬区には非常に珍しい天然記念物の水草の群落がある。それは三宝寺池の「沼沢(しょうたく)植物群落」だ。
 ここにはカキツバタコウホネ等に加えて、ミツガシワやヒツジグサなどの本来は高山植物であるはずの植物が生えている。これはなぜかと言うと、元々氷河期に生息していたそれらの植物が氷河期が終わって低地から消えていく中で、三宝寺池だけは冷たい湧水が豊富だったので生き延びる事ができたのだ。そのため、三宝寺池のそれらの植物は「氷河期の生き残り」として紹介されることもある。

 

 しかし、三宝寺池は宅地化が進む中で湧水が枯れ、現在は人工的にくみ上げた水で維持されている。これも併せて知っておいて欲しい。

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三宝寺池水辺植物園のミツガシワ



自然によるリセットと人による改変


 潜在自然植生とはあくまで「なにも無ければ」の状態を示すものだ。川の氾濫によって湿地の植物が流されたり、森の木は台風等で倒木したり、山火事で植生がリセットされるというのも自然現象にはあることだ。

 森はリセットされると草原となり、そこからマツを中心とした「一次林」コナラやクヌギを中心とした「二次林」を経て、「極相林」と呼ばれる樫や椎の森に戻る。植生とは極相状態になるまで何十年、何百年とかけて自然に遷移するのだ。

 

 中世以降、人は意図的に自然をリセットし、利用してきた。
 その一つが雑木林だ。雑木林とは人が手を入れて二次林のコナラやクヌギの林の状態を意図的に存続させた林のことを言う。
 なぜそういう事をするかと言うと、成長が遅く頑丈な樫や椎に比べると、コナラやクヌギは頑丈ではない代わりに成長がずっと早く、伸びた木を切っても比較的早く伸びるからだ。
 また、頑丈ではないというのは言い換えれば人が加工がしやすい。そうやって人々は雑木林から木材や薪を手に入れていた。またコナラやクヌギは落葉樹なので葉を落とし、落ち葉は「鋤き込み」という畑の土づくりの作業にも使われた。

 

 そして、武蔵野台地では中世までは焼き畑農業も盛んだったと言われている。
 これは武蔵野台地は火山灰による台地のため栄養が少なく、焼き畑によって土に養分を入れないと、作物が十分に育てられなかったためだ。焼き畑農業を終えると、その土地は武士が馬を放牧する「牧」となったり、植生遷移を経て再び森となり、また火を入れられて畑となったりを繰り返した。
 豊島氏をはじめとした「坂東武者」が関東で生まれたのも、武蔵野台地はそこら中に牧があったからというのも一因らしい。

 「焼き畑農業なんて環境破壊じゃないか」
と思う人もいると思う。確かに、その瞬間を見れば環境破壊だと思う。
 しかし、焼き畑農業の大事なところは同時に全部を焼くのではなく、範囲を決め都度場所を変えて行うことだ。こうして、台地の上に草原と一次林、二次林があちこちにある状態が作られていたのだ。同時に、神社の鎮守の森には極相林も残されたと思われる。
 安定して森がずっとあったわけではないが、常にどこかに草原が、どこかに森がある状態であれば、環境に多様性があるので生き物の多様性は豊かだったと思われる。

 

 なお、武蔵野台地の焼き畑農業は「中世まで」と言ったが、それは江戸時代には江戸の町の人々の糞尿を肥料とすることで、作物に適した土を作れるようになったからだ。練馬を代表する野菜、「練馬大根」が生まれたのもこの時代である。

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雑木林の林床にアジサイが植えられた、としまえん昆虫館付近

 

石神井川にホタルがいない理由


 現在、私たちは台地上も低地も等しく市街化し、人々が家やビルを建て、生活している。
 低地では、人がそれまで住めなかった湿地を失くすために盛り土をし、川は掘り下げられる事になった。
 元々谷底全てを氾濫原としていた川に、「人が掘り下げた河道の中だけにいろ」と言っている状態なので、大雨の時の川には、本来谷底を流れていただけの水が狭い河道の中に物凄い勢いで流れる事になる。

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豪雨時の石神井川(上石神井付近)



 ここで考えて欲しいのは、水の中に棲む生き物のことだ。元々は雨であっても谷底全てが氾濫原であれば魚は流れのゆるやかなところに逃げることができた。湿地が水田化された時代は水田に逃げることもできた。
 しかし、今の川では逃げ場がない。現在、都会の川は水質はきれいになったが、川には基本的に流れに強い種類しかいない。穏やかな流れを好む魚は流されてしまい、生きていけないのだ。

 

 また、元々石神井川にはホタルが生息していたが、今はいない。
 なぜかと言うと、高度経済成長期の水質悪化も一因だが、川を掘り下げたことで川が土と接しなくなった事がトドメとなった。ホタルは水辺の虫という印象があるが、サナギになるときは陸に上がって土の中でサナギになる。つまり土が無ければサナギになれずに流されてしまうのだ。

 川が掘り下げられるとホタルやイタチのように、水辺と陸を行き来する生き物はなかなか戻って来ることができないのだ。

 

 ちなみに、掘り下げられる前の川と谷の田んぼの姿は、練馬区のホームページで閲覧ができるので一度見てみよう。

www.city.nerima.tokyo.jp


カワセミが戻ってきた理由と、光が丘にフクロウがいる理由


 ところで最近、石神井川石神井公園カワセミを見る機会が多くなってきた。一見「自然が戻ってきた」と喜ばしい事に見えるが、実はこれにはカラクリがある。

 カワセミが一時、都会で減った決定的な理由は、カワセミの巣を作れる場所が都会に無かったからだった。カワセミは土が露出した崖に穴を掘って巣を作る。崖に作った穴であれば天敵の蛇や哺乳類も近寄れないのだが、こういった崖は基本的に川が土を削ったところにできるのだ。従って、石神井川も白子川も掘り下げてコンクリート護岸にしてしまったため、土の崖が無くなりカワセミも姿を消したのである。


 ところが、しばらくして人が作ったあるものにカワセミが巣作りをするようになった。それはコンクリート護岸の水抜き穴だ。

 コンクリートの護岸には、裏に水が溜まらないように必ず「水抜き穴」が作られている。時々湧水も染み出していたりするが、これが小さなカワセミの巣のサイズに丁度いいのだ。そして、今の川には流れに強い魚である「モツゴ」や外来種であるアメリカザリガニが多く生息している。これらがカワセミの餌のサイズとしてちょうど良かったのである。

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石神井川の護岸と水抜き穴



 また練馬区内では光が丘にフクロウやオオコノハズクが生息しているのだが、これにも理由がある。
 フクロウの仲間が都会から減った理由は、フクロウは木にできたウロ(樹洞)に巣をつくる鳥だからだ。今の東京にはウロができるような巨樹がほとんど無い。同じく、ウロで子育てをするムササビなども姿を消している
 しかし、光が丘ではバードサンクチュアリにフクロウ用の巣箱を設置している。フクロウにとって都会の林は木々が若すぎるので、人工的に巣箱を設置してあげないと生きていくことができないのだ。以下は巣箱設置をしているNPO法人生態工房のブログだ。

www.eco-works.gr.jp

 練馬区カワセミやフクロウが生息している背景にはそういった事情がある事も是非知っておいて欲しい。


都会の自然に目を向けてみよう

 以上、非常に大雑把ではあるが、練馬の本来の自然と人との関係を紹介した。

 
 としまえん問題は、「今まで当たり前にあったもの」を見つめなおす機会になってきているような気がする。それはとしまえんであり、区政や都政であり、そして身近な自然もそうだと思う。

 

 今回の件で、行政や議員さんと区民の関わり方を見つめなおした人もいると思う。それと同様に、身近な自然を見つめなおし、かかわり方、共生の仕方を考える機会にしてくださる人が増えると嬉しい

としまえん跡地への期待と不安 ~膨らむ区民の不安と不満~

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閉園したとしまえん

 としまえん閉園と練馬城址公園の計画について過去当ブログでも記事を書いてきたが、予想よりも多くの方にご覧いただき、嬉しく思っている。当ブログの記事がとしまえん閉園後のあの土地について発展的に考える上で何かしらの力になれれば嬉しい

 

 ところで、SNS上ではこの一連の動きについて様々な情報が飛び出しており、信憑性の高いものもあるが、中には感情論が先走り過ぎて論理性の全くないものも見られるのは事実だ。
 問題提起をするのであれば問題をきちんと理解し、今一度冷静になって欲しいと思い、私が把握している事を整理して紹介したいと思う。

 

目次

 
スタジオツアーがここに建設できるロジックとその問題点

 

 区民の中には東京都が公園の中に強引にワーナーを誘致したと思っている方もいらっしゃるが、今回の計画はそうではない。それは下記を見れば明白だ。

・東京都
練馬区
西武鉄道株式会社(土地所有者)
ワーナー ブラザース ジャパン合同会社(民間施設運営)
伊藤忠商事株式会社(民間施設等建築及び管理)

都市計画練馬城址公園の整備にかかる覚書の締結|東京都

 つまり、「練馬城址公園と隣接する西武鉄道の土地で、伊藤忠商事が建物を建てて、ワーナーが運営することを東京都と練馬区に協力するのであれば認めるよ」というのが今回の覚書だ。

 練馬城址公園については段階的に西武鉄道が東京都に土地を譲渡する事になっているが、スタジオツアーが建てられる土地は30年間は西武鉄道の所有地なのである。
 だから公園の基本計画が完成する前にスタジオツアーの計画が出来上がっているという点は、そもそもその土地は向こう30年は東京都の土地ではないのだから、東京都の計画に含まれないというロジックは成り立っている
 また、建物が大きすぎるという点についても、としまえん跡地は都市計画的には「第2種住居専用地域」であるので、基本的に高さの制限は緩い。だからこそとしまえんにフライングパイレーツやイーグルがあったというわけだ。

 

 ここで重要なのは、練馬城址公園とスタジオツアーの敷地の線引きを誰がどういう経緯で決めたのかということである。

 はたして、東京都が本当にこの土地を「都民に憩いの場を提供するための緑の空間の創出」「石神井川などを生かした快適な水辺空間の創出」という覚書にある基本目標を重視して協議していれば、北側の斜面林の敷地や石神井川の河川敷ギリギリまでスタジオツアーの敷地とすることを認めていただろうか。その点は疑問である。
 

東京都の中での検討

 

 練馬城址公園のような大きな都立公園の計画は、東京都公園審議会というところで諮問、審議をされながら計画が形作られていく

www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp

 東京都公園審議会についてはどういう組織か、ホームページにある文章をそのまま掲載する。

  東京都公園審議会は、知事の諮問に応じ、公園及び霊園の整備計画や利用普及・運営に関する事項を審議して答申し、公園及び霊園の整備充実とその適正な運営を図るためにおかれた知事の附属機関です。

 要するに建設局の中にある知事直系の機関というわけだ。

 現在、練馬城址公園については6月30日の第1回東京都公園審議会で諮問9月8日の第2回東京都公園審議会で審議があり、次は11月の審議を経て、翌年1月にパブリックコメントを募集する計画となっている。

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スケジュール(諮問資料)

 余談だが、この諮問資料と審議資料、なかなか完成度が高く面白い
 特に私が関心したのが諮問資料の「地形」と「土地利用変遷」、審議資料の「緑と水 - 公園整備への展開」そして「ゾーニング案」だ。

 「地形」図は私が前記事で紹介したものよりも余程見やすく、練馬城址や両側の沢の地形まで非常に分かりやすい。「土地利用変遷」は私が前々記事で紹介したこの土地の歴史が地図や航空写真を使って視覚的に分かるように説明している。一としまえんファンとして、なんだか嬉しいものがある。

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地形(諮問資料)

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土地利用変遷

 さらに「緑と水 - 公園整備への展開」では樹木の分布の分析や、井戸を使って低地に水辺を作ることも示唆されているし、「ゾーニング案」もあくまで案だが現況地形や周辺環境、歴史を配慮した妥当なゾーニングだと思う

 

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緑と水(審議資料)

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ゾーニング案(審議資料)

 もちろん個人的には一部、不満もある。水辺づくりに緩傾斜護岸の検討がないなど石神井川が全く活かされていないこと、北の斜面林については「保全」ではなく「整備」という言葉で大きく手を加える前提になっていること、南側の水景施設が谷戸地形だけでなく台地上からはじまっている事などだ。

 ただ、そういう疑問点を受け付ける場として「パブリックコメント」というものがあるわけだから、それは来年の1月に区民の声として上げることはできる

 

 しかしこの資料の中で浮いているのが「にぎわい - 民間との連携」のページで唐突に現れる「スタジオツアー」であり、これは諮問が始まる前から既定路線となっている事だ。もちろん、ここだけはまだ民有地である前提なのだが、やはり審議が始まる前にスタジオツアーの範囲だけ何の言及も無く決まっているというのは「ハリーポッターありき」という印象を感じざるを得ない

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にぎわい(審議資料)

 そして覚書ではスタジオツアーは練馬城址公園の防災機能の一翼を担う事になっているのだが、工事中についての言及はこの資料の中にもない

 元々としまえんは避難場所と災害時臨時離着陸場候補地されていたので、工事中の期間は周辺住民は避難場所を失っている可能性がある。この点については速やかな説明が求められるだろう。

 

 そしてそもそもこの審議会、諮問から2カ月半経過しているのだが、議事録が未だに開示されていない。審議会の中でどのようなやりとりがあり、覚書についてはどのように会の中で説明されたのか、都は都民に早急に開示する必要がある

 

改めて、今回の問題点の整理

 

 ここで問題点をまとめるが、先に一つ言いたい事がある。それは今回の公園づくりは事業スキーム自体は画期的であるという事だ。これは批判する前に認めるべき点だと思う。

 私も以前、公園のPPP/PFIに関わる仕事をしていたが、公園内に民間企業を誘致しても結局制約が多くて大規模な事は行えず、集客装置としての機能を十分に果たせていない事例は多いと感じていた。それらは、結果的に自治体の助成金補助金、委託金ありきの、持続可能ではないものと化してしまいがちだ
 しかし今回のとしまえんのスタジオツアーは、段階的に西武鉄道が土地を譲渡する前提で、あくまで公園の中に自立的に集客装置を大規模に作れるという点が画期的である。このスキームがあるからこそ、西武鉄道もしばらくは新たな集客装置の地権者として見返りがあり、としまえんを閉園してもwin-winな関係となっている。


 今回の件で批判の矛先の一つとなっているおじま紘平議員だが、本当にこの話を進めたのだとすれば非常に賢い人物だと思う

 しかし、逆におざなりになっている点が多くあるのは事実で、それが今回の騒動の問題点の核なのだ。それをまとめると下記のようになる。

 

問題点① としまえん閉園後の近隣住民の避難場所について今のところ何の説明もないこと

 としまえんは閉園前から都指定の避難場所だった。それが閉園され建物が建つまでの間どういう扱いになるのか、全く説明がない。

問題点② 覚書にスタジオツアーの面積や規模について全く規定を設けていないこと

 防災拠点となり、かつ覚書の基本目標を達成する上では、スタジオツアーの位置や面積について、本来東京都は厳しく口を出すべきである。それは覚書の締結者の中でその土地の自然と近隣住民の安全を守るのは練馬区と東京都の役割だからだ。しかし、覚書には民間企業の範囲を規定する文言が無く、誰がどういう経緯でスタジオツアーの範囲を決めているのかも全く分からなくなっている。

問題点③ 解体工事が閉園翌日から始まっていた事

 解体工事は2020年9月15日~2021年4月30日(予定)となっているが、9月1日から工事が始まっていたとの目撃情報が多数あること。ウェーブスインガーやカルーセルエルドラドはかなり早い段階で工事が始まっていた様子がSNS上で共有されている。なお、解体工事の施工者は西武建設である。

問題点④ 練馬城址公園で想定している防災拠点としての能力

 練馬城址公園は防災公園であるという以外、具体的に何人をどこでどういった形で災害時に受け入れるか、その場合公園にどういう機能が求められるのかの定義づけが曖昧である。曖昧だからこそ、スタジオツアーの規模を決定する因子が欠けているともいえる。

問題点⑤ これら①~④について、圧倒的に説明が足りない事

 とにかく説明が無いことが区民の不安と不満を煽り、噂が噂を呼ぶ混乱を招いている。これが問題なのだ。

 逆に言うと目立った問題点はこの4点である。それ以外の「カルーセルエルドラドを残して欲しい」、 「プールは残して欲しい」というのは区民からのあくまで要望だ。問題と希望・要望は分けて考えよう。

 

 ちなみに、練馬区は6月19日に議長名義で意見書を東京都に提出し、その中には

3 事業化に向けたスケジュールを速やかに公表すること。
4 事業化に向けて、パブリックコメントや説明会等により、区民への丁寧な説明と意見聴取を行うこと。

 という項目があったが、それを東京都は無視している状態だ。

www.city.nerima.tokyo.jp

 

 これはあくまで推測だが、その一週間前である12日に締結した覚書に組み込む事ができなかった練馬区の意見を後から意見書としてまとめているようにも見える。


 まず区民・都民が求めるべき事、そして東京都が行うべきはシンプルだ。「説明」である
 


私たちがやってはいけないこと

 

 このような混乱の中でSNS上でもリアルでもとしまえん閉園とスタジオツアー計画に対して明らかな反発が見られるようになってきた。そしてその中には根拠の薄い推察や、問題点を掴まないままの的外れな言いがかり乱暴な言葉で都や企業を批判する人も見られる。
 言っておきたいのだが、そういった感情の掃き溜めとしての反発運動は問題に対して既に思考停止を起こしており、何の解決能力も持たない
 学校や会社であれば誰かが叫べば教師や上司が仲介に入ったかもしれないが、社会にそんなものは存在しない。学校や会社には噂話で人に報復する人もいるが、それは溝を深めるだけだ。

 都や都議の進め方に問題があるからと言って彼らは敵ではないし、憎むべき相手ではない。としまえん閉園は悲しいし、説明不足が不安を増長させているが、不安に負けて自分たちがただの悪質クレーマーやデマッターにならない事に気を付けよう

 

 クレーマー的な活動は正当な理由・プロセスで都に疑問を投げている人の足を引っ張る可能性もある。  特に気になるのは、西武鉄道を批判する人」「利権という言葉を安易に使う人」だ。
 前の記事でも言ったが、としまえんの現場は確かに頑張っていたけれども、としまえんは決算的には持続が難しい経営状況だった
 2019年の決算は純利益が約52万円、2018年の決算は逆に22万円の赤字。確かに持ち直しているが、一つのテーマパークの利益としては小さすぎる。社員の賞与を少しでも増やしたり、例えば塗装の剥げているブレイクダンスやマジックのペンキを塗りなおしただけで消えしまうくらいの利益だ。


 これではさらなる投資、例えばシャトルループクラスの絶叫マシンを新設する事なんて絶対にできない。富士急レベルのジェットコースターの建設には30~40億円もかかる。

 そうなると、閉園のタイミングを待つという経営判断にならざるを得ない。どうしてそうなったかの原因を言えば、我々を含む利用者が以前ほど行かなくなったからに他ならない西武鉄道としまえん愛を問うのも筋違いだ。


 西武鉄道を批判するのであれば解体工事の施主ではあるので、西武建設の早すぎる解体工事に何らかの説明を求める事はあっても、閉園についてはむしろこれまでとしまえんを存続してくれた事に感謝すべきだと思うし、スタジオツアーの地権者としてお金が入る事は当然のことで、そこに難癖をつけるのはクレーマーと変わらない

 強いて願いを言うならば、今回得るお金の一部はバリアフリーや線路の立体交差化など、本業の鉄道の利用者や沿線住民のために使って欲しいと思う。

 

 そして「利権」という言葉。確かに今回の件は官民が手を組んで利益を出そうとしている。だがそれ自体は悪ではないし、それを悪とするのは資本主義自体の批判だと思う。
 もしそれが「利権政治」であれば叩かれなければいけないが、今のところ収賄があったという情報もない。企業は事業によって利益を出すから存続できるのであり、安易に「利権だ」と言って民間企業を叩くべきではない
 「金儲け」という批判も全く同様だ。

 

 こういった発言は特に署名集めをしている人々の中で散見される。自分たちが署名を集めるために分かりやすい批判対象を作ると言うのは悪質なネガティブキャンペーンに他ならない。

 純粋な区民の意見として署名を集めたいのであれば、不安や不満を煽って署名してもらうような事はないよう、情報の整理と言葉に気を付けて行おう。

 

 またおじま紘平議員に対してもTwitterで乱暴な言葉を見受けられる。確かに、彼には問題があるし、彼が進めたという今回の話には穴がある。

 一連のツイートの中に区民の不安と不満を煽るようなものがあったのは事実だ(現在は削除されているようである)。

 しかしだからと言って彼の人格を否定するような言葉は絶対に吐いてはならない。今のところ金銭的に黒い噂があるわけでもないし、彼を支持しないのであれば相手は政治家なのだから選挙で示せばいいだけの話だ。


私たちにできること

 

 先ほども書いたが、この混乱の中で様々な動きが生まれているが現段階で都が怠っている事、そして区民・都民が求めるべき最も重要なことは非常にシンプルで、「説明」である

 

 個人的には石神井川の多自然型川づくりと親水護岸化はして欲しいし、署名運動ではプールの存続を求めている人がいたり、さらには練馬区の意見書ではカルーセルエルドラドの残置を求めているが、これらは公園計画の立案が健全な段取りで進んでいればパブリックコメント等を通して要求できるものだ・・・本来は。

 しかし都は問題点①~④についての説明をしていないばかりか、これだけ関心が高まっているのに、審議会の議事録の公開も遅い

 

 情報は区民でも集めている方がいらっしゃるが、やはり最前線で仕事として本件にあたっている区議や都議の方の情報収集と対応にまずは注目しよう。私が現在把握している中で本件に積極的に携わっている議員の方たちは以下である。ただし、議員のこういった活動の原動力というのは国会でもそうだが、もちろん区民・都民の声を吸い上げるという方もいらっしゃるが、最初から都知事やその所属政党を批判する前提の方もいる。

 推察等についてはいつも必ず正しいわけではない点は気を付けよう。


 そんな中、件のおじま紘平議員は説明不足を認め、Twitterで意見を求めている。

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おじま議員のツイート

 

 とはいえ彼は都民ファーストの会の一議員である。意見を求めているが彼が大きな権限を持っているか不明だし本当に彼一人でやった事だとは思えない。それに、Twitterは正式なプロセスとは言えない。

 公園審議会も知事直轄部隊であるし、やはり意見を提出すべきは都民ファーストの会のトップでもある都知事であると思う。

 

www.metro.tokyo.lg.jp

 

 また、小池百合子都知事個人のオフィシャルサイトは問い合わせ窓口を設けていないが、都民ファーストの会には窓口がある。おじま紘平議員も所属している事もあり、ここに意見を寄せる事も重要であると思う。

tomin1st.jp


 さらに、こういう時はメディアの力を借りる事も考えなければいけない。マスコミの中には的外れな批判、強引な論調をする記者、番組もあるが、本来政治にメスを入れるのがマスコミの役割だ。
 きちんとしたプレスリリースでなくても、情報を受け入れている番組がある。それらはどうしてもニュース番組というよりはワイドショーに寄りがちではあるが、問題の顕在化・社会的認知を上げるという目的では有効なので、時間がある人は情報を提供してみよう。それに私個人の印象だが、小池都知事はマスコミ受けは非常に気にしていると思う。
 ちなみに情報のまとめとして当ブログの記事を使っていただく事は構わない。

 

 以下に、情報番組の視聴からの情報窓口をまとめる。

 

 最後に念のため書いておくが、前回も書いたが私はとしまえんの閉園自体は受け止めているし、そこに反対運動をする気はない。遊園地閉園後、別の集客装置を誘致するというのも妥当だと思っているし、ハリーポッターの施設や練馬城址公園ができたら是非遊びに行きたいと思っている

 

 しかしスタジオツアーが経緯も詳細も不明なため、としまえんが残してきた林や水辺づくりに影響を与えないかを懸念している立場である。

 そこで私はダメ元で、JKローリングさんにTwitterでメッセージを送ってみた。今のところ反響は無いが、このツイートは、私の記事に賛同していただけたら良ければ拡散していただけると嬉しい。ツイートの反響が大きくなれば、JKローリングさんの目にも入るかもしれない。

 

 この土地にはとしまえんが残した緑がある水辺は石神井川を活かせば再生できる。実際石神井川の流域では、東伏見や上石神井、南田中等で親水護岸が作られ水辺が再生しているところがある。

 としまえんが無くなっても、この土地が練馬の人々に愛される土地になる事を祈っている。

 

としまえんについての過去の記事もご覧いただければ嬉しい。

hidephilax.hatenablog.com

hidephilax.hatenablog.com

hidephilax.hatenablog.com

としまえん跡地への期待と不安 ~大きすぎるハリーポッター施設~

 ひとつ前の記事ではとしまえんがある土地の歴史を紐解き、閉園後は水と緑にあふれる場所であった事を活かして公園整備される事を願った

 

hidephilax.hatenablog.com

 しかし、徐々に明らかになりつつある閉園後の計画を見ていると、どうもそうはならないのではないか、という不安が膨らみつつある。

 

 ちなみに、私の立場としてとして前の記事でも書いた通り、としまえんの閉園自体は受け止めているし、そこに反対運動をする気はない。遊園地閉園後、別の集客装置を誘致するというのも妥当だと思っているし、ハリーポッターの施設や練馬城址公園ができたら是非遊びに行きたいと思っている

 

 しかし計画の進め方や現状分かっている計画には疑問があり、決定経緯についてもう少し明らかにして欲しいと思っているのだ。

目次

 

 

大きすぎるハリーポッターの施設

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ハリーポッターの施設の計画図

 これが公開されている「(仮称)スタジオツアー計画」の図面だ。としまえんのアトラクションを呑み込むように本館の建物が建ち、その北に道路が通り、現在のトイザらスの位置に駐車場を建造する計画となっている。本館の敷地面積はなんと30,000㎡だ。

 

 位置的には中央のフライングパイレーツやサイクロンの乗り場、トロイカブレイクダンスはもちろん、東側はカルーセルエルドラドやフリュームライドの乗り場あたり、北はコークススクリューの乗り場、西はイーグル、マジック、スイングアラウンド、ウェーブスインガーまでもをすっぽりと覆ってしまえるだけの広さがある

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イメージ図(いただきもの)

 それだけではない。建物の高さが19mもあるのだ。としまえんの建物で例えると、サイクロンの最大高低差が18mだから、それよりも高い事になる。

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サイクロンのコース

 また一般的にマンションは1階3mで建てられるので、6~7階建ての建物に該当する高さだ。 6~7階建ての建物がとしまえんのアトラクションを覆うように建てられる。文字通り大規模開発である。

 

水と緑をどうやって活かすのか、という疑問

 6月12日、としまえんの閉園が決定すると、西武鉄道や東京都、ワーナーブラザーズなどの間で覚書が締結された。

 覚書にはこう書かれている。 

覚書締結者

 東京都、練馬区西武鉄道株式会社、
 ワーナーブラザースジャパン合同会社伊藤忠商事株式会社

 練馬城址公園に求められる機能に関する基本目標

「緑と水」
 都民に憩いの場を提供するための緑の空間の創出
 石神井川などを生かした快適な水辺空間の創出
「広域防災拠点」
 災害発生時に避難場所等となる広場や防災施設の確保
 周辺地域から公園内を東西方向、南北方向に避難できる園路の確保
「にぎわい」
 多様な交流活動が行われ活気をもたらす空間の創出
 来園者が憩う便益施設の整備

 引用元:

www.metro.tokyo.lg.jp

 

 ここには明確に「都民に憩いの場を提供するための緑の空間の創出」、「石神井川などを生かした快適な水辺空間の創出」という文言がある。しかし、あらためてハリーポッターの施設の計画図を見ると石神井川のギリギリまで建物が迫っていることが分かる。水辺はどこに創出するのか。

 

 「南側に作ればいいんじゃないか?」

 

 と思う方には、地形図をお見せしたい。

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としまえんの地形

 

 これは国土地理院1万分の1の地形図「練馬」に着色したものだ。肌色が標高34m以上、茶色が標高40m以上の土地を現している。

 

 ご覧の通り、としまえん内の石神井川は緩いカーブを描いており、南岸は台地に接しているのだ。その台地で最も標高が高いのが練馬城の城山である。

 プールで遊ばれたことがある方は、アトラクション側から橋を渡ってプールに行く際、坂道を上った記憶があると思う。あれは台地の斜面を登っているのだ。

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としまえんプール入り口の坂

 


 平成9年に河川法が改正されて以降、石神井川の流域でも多自然型川づくりや緩傾斜護岸の創出が行われている。最近整備されている都立東伏見公園付近の石神井川でも水辺空間の充実が図られた。

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東伏見石神井川の緩傾斜護岸

 練馬城址公園を真に緑と水にあふれる空間にするのであれば、現存の緑を保全したうえで、北側の低地で水辺空間の充実を図るのが妥当なのだ。南側への拡幅は台地があるため現実的ではないし、もし拡幅した場合は斜面林を削る可能性があり、その中には城山の森も含まれる。それはとしまえんが残してきた自然の喪失であるし、史跡の破壊でもある。

 

 また近年は台風の大型に伴い、水害被害が深刻化しており、より一層の治水対策が求められるとしまえん跡地には川辺の低地にまとまった土地があるのだから遊水池を設けて水辺空間の創出と治水の強化を図ることもできるはずだ。そういった案は無いのだろうか。もし今後治水計画を強化しようとした場合、旧としまえん敷地はハリーポッターの建物が川に近接し過ぎている事がネックになることが予想できる。

 

 さらに、としまえんの北側には前の記事でも紹介したが、あじさい園の林がある。この林には9月6日放送された鉄腕DASH」でカブトムシやクワガタムシ、タヌキなどが生息している様子が紹介された
 この林がどうなるのか、現在のところ計画図からは読み取りきれないが、これだけ大規模な建築が行われるとなると、何らかの影響は必然的に受ける可能性がある。

 保全する気があるのか無いのか、保全する気があれば開発中はどういう配慮をするのか、いずれにしても施工前に十分時間的余裕を持って区民・都民に説明して欲しい。

 

 鉄腕DASHでは、こどもたちが虫に触れる事は、脳の成長の上でも良いと紹介された。
 東京都の各機関や議員の方々には、子供たちに情操教育の場を残すのか、子供をコンテンツビジネスの場のみを与えるのか、よく考えて欲しい。

 

どうしても強引な印象を受ける今回の計画

 

 こうして少しずつ明らかになる跡地の計画を見ていくと、当初「緑と水辺空間を活かした防災公園の計画」だったものが、「ハリーポッターありきの計画」になっているような気がしてならない。

 

 ちなみに練馬城址公園の構想自体はかなり昔からあり、1957年の東京都の都市計画には既に存在していた。練馬区の基本計画にも「練馬城址公園」の名前はずっとあり、それが東日本大震災の際、防災公園の重要性が高まることで再び注目されるようになった。

 そして今回の話はずっと膠着していた計画が、ハリーポッターのワーナーブラザーズの登場で一気に現実化したものだと考えられる。
 だが公園とは本来、公園のあり方、住民の要望、様々な評価をとりまとめた上で計画を建てるべきものだ。その中には本来は住民が参加するワークショップ等も開催すべきで、それをとりまとめるのが行政や議員の仕事であるとも思う。

 

 しかしとしまえんが閉園した今、我々はハリーポッターの施設の計画を目にしているが、練馬城址公園の基本計画を目にしていない。詳細計画はまだ無いにしても計画がまだ少しも形になっていない状態なのだ。

 

 公園の計画、ゾーニングがあり、その中で民間企業を誘致するのなら分かる。しかし、今の状況を見ているととりあえず防災も水も緑も住民の意向も後回しで、ハリーポッターのために計画を進めているようにしか見えない

 その中でTwitterで話題になっているのが、「自分がこの計画を動かした」と言うおじま紘平都議会議員のこれらの投稿である。

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おじま紘平議員のツイート

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おじま紘平議員のツイート(つづき)

おじま紘平(東京都議会議員・練馬区) (@ojimakohei) | Twitter

 

 色々引っかかる点はあるが、一番疑問なのはとしまえん閉園後の土地の活用について、協議中とは言え事前に全く情報を都民に公開する気が無かった事だ。

 たしかに民間企業との交渉は、全てオープンにすることはできない。だが、敷地のどのあたりに、民間企業を誘致しようとしているという方向性くらいは開示できたのではないだろうか。ただそれも本来は先にゾーニングがあってこそだ。


 もう一度言うが私はハリポッターが来る事自体は反対ではない。
 だが、この発言は「物事を動かす事」を優先し過ぎていて、地域や公園づくりの本質を見失った人の心情であると思う。

 

 議員の役割は何なのか。投稿のいくつかの言葉は練馬区の人々に言うべき言葉だったのか。大きな疑問である。

 

我々にできること

 

 こういった一連の動きがあり、私はまず前記事でとしまえんの土地の歴史を紹介し、この記事も書いた。

 

 としまえんの閉園については、色々な思いを持つ人がいると思う
 そもそもとしまえんの閉園に反対だという人、プールだけ残して欲しいという人、同じく西武グループが運営する八景島のように土地は自治体が持ち、アトラクションは残して民間企業が運営して欲しいという人。

 

 私は閉園は受け止めているが、水と緑を活かした整備をして欲しいと思っている人だ。そして同時に、このままでは地元住民のための公園にならないのではないかと危惧する人でもある。

 ハリーポッター施設については、石神井川から10m以上離れる形、南側斜面を伐採しない前提で再検討して欲しいと思っている。

 

 ネット上ではそれぞれの思いから署名運動をやったり、キャンペーンを立ち上げる人もいる。最後にそういったページへのリンクと、住民の意見を受け付けている場を紹介して終わりにしたい。

 

www.change.org


 これは終了してしまっているが、としまえんの閉園自体に反対するキャンペーンだ。charge.orgは比較的キャンペーンを起こしやすいサイトなので、本キャンペーン終了後も興味のある人は別のキャンペーンを立ち上げてみるのもいいかもしれない。

 

  • としまえんのプール営業を残してほしい!6年以上、最低100周年まではお願いしたい。(Voice)

www.voice.charity


 プールだけは残して欲しい、という人の署名運動がこちらだ。期限は10月16日までなので、賛同する人は早めに署名しよう。

 

www.facebook.com


 としまえんと、都立公園(練馬城址公園)について考える練馬区民の集まりだ。勉強会をリモートでも行っているのでチェックしてみよう。

 

www.facebook.com

こちらは少し別のベクトルで、「大人と次世代を担う子供たちが遊べる魅力的な水と緑の空間を一緒に学んだり、創り、使いながら育てる」をコンセプトとした団体だ。
ただし、あくまで跡地をゼロベースで考える団体なので、としまえんの閉園に反対やスタジオツアーへのアンチ活動をする団体ではないことに気を付けよう。

ネクスト法律事務所(陳情書を作成、提出) ※9/19追記

blog.goo.ne.jp

 弁護士平岩氏によるブログで、陳情書を作成し、練馬区議会議長に提出。都知事あての陳情書も提出しているが、10月6日までは署名も受け付けているとのこと。
 ブログの言葉がかなり乱暴で本筋から離れた事も多いが、陳情書自体は防災計画に焦点を当てており、かなり実効性が高い内容だと思う。


 また、私は元建設コンサルタントなのだが、経験的に行政に多数が意見を寄せることは計画を決定する上で非常に重要だ。

 そこで東京都の住民意見募集の窓口を紹介する。

 

  • 都民の声総合窓口

www.metro.tokyo.lg.jp

 基本的には上記が都民の声の総合窓口だ。住民の意見として、言いたい事があれば言ってみよう

 

  • 計画等に係る意見公募

www.johokokai.metro.tokyo.lg.jp


 具体的な計画については上記が窓口となる。現在のところ練馬城址公園の計画に該当するものは無いが、意見を募集した際は上記に掲載されるので確認しよう。

 

tomin1st.jp

 小池都知事のホームページには問い合わせ窓口は無いが、小池都知事およびおじま紘平議員が所属の都民ファーストの会には窓口がある。
 政治家としての小池百合子氏にメッセージを届ける窓口として活用しよう。

 

  

 最後に、前記事と全く同じ事を書いて締めくくろうと思う。

 この土地にはとしまえんが残した緑がある水辺は石神井川を活かせば再生できる。実際石神井川の流域では、東伏見や上石神井、南田中等で親水護岸が作られ水辺が再生しているところがある。

 としまえんが無くなっても、この土地が練馬の人々に愛される土地になる事を祈っている。

 

※9/19 追記 この続きの記事を書いたのでご一読いただきたい。 

hidephilax.hatenablog.com

 

在りし日のとしまえんについては、こちらも読んでいただけると嬉しい。

hidephilax.hatenablog.com

としまえんのあるところ ~練馬城ってそもそもなんなの?~

 8月31日、ついにとしまえんが94年の歴史に幕を閉じた

 

 それを報じるニュースはどの局も、「練馬区にあるのに”豊島園”なのは豊島氏からきている」と名称の由来をマメ知識的に沿え、「閉園後は防災公園とハリーポッターのテーマパークになる」と報じて締めくくるものがほとんどだった。

 

 そして早くも園内のアトラクションの解体が始まっている今、個人的にはこの土地の未来を考えるなら絶対に、この土地がどういう場所だったかを踏まえて行政には検討して欲しいと思っており、その為に多くの人にこの土地の事を知っていただく事が必要だと思う。

 

 そこで今回はこの土地の歴史について、簡単にまとめてみることにした。

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練馬城址の城山

目次

 

元々景勝地だった「練馬城址としまえん

 

 としまえんは元城跡である。」

 ということは今でこそ情報としてマイナーだが、としまえん開園時は恐らく知らない人はいなかったと思う。なぜなら正式名称が「練馬城址豊島園」だったからだ。

 元々この土地は練馬城の城山の麓に石神井川の水辺が広がる景勝地で、藤田好三郎という人物が、自分と家族の静養地として購入した土地を大正15年に庭園化して公開したのが豊島園のはじまりだった。

 現在では周りは住宅街となり、石神井川も都市河川化してしまっているが、元々景勝地だったという事は留意すべき事実だと思う。

 戦中は城山が高台で見晴らしが良かった事から、日本陸軍が敵機を発見するための防空監視哨という軍事施設を置いていた事もあった。

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ふるさと文化館【ふるさと文化講座】より初期のとしまえん

出典: 

受付終了【ふるさと文化講座】初公開映像上映と解説~昭和初期の遊園地「豊島園」・「花月園」他~ | 展覧会・イベントほか | 練馬区立石神井公園ふるさと文化館・分室

 

 その後としまえん昭和26年に西武鉄道が買収し、遊園地としての色を強めていく。池を埋め立てて絶叫マシンが設置されたり、練馬城の城山の上にハイドロポリスが作られたりと、日本の高度経済成長、そしてバブル期を経て、景勝地としての「練馬城址豊島園」からテーマパークとしての「としまえん」へと変化していったのだ。

 

豊島氏と練馬城

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石神井公園で開催される照姫まつりの豊島一族

 としまえんの名前の由来になった豊島氏は、西暦1023年頃から1477年頃まで活躍した武士の一族だ。平安時代の坂東武者の勃興の中で興った武家であり、室町時代の関東の大戦乱である長尾景春の乱まで、約4世紀半南武蔵の有力な領主として君臨していた。

 

 豊島氏は、元々秩父盆地にいた秩父氏という強大な武家の一族出身で、その一派が荒川を下り隅田川から武蔵野台地に入り込んで石神井川流域で土着化したものだ。

「なんで石神井川に?」

 と思う人もいるかもしれないが、今でこそ石神井川は「都会の川」という雰囲気だが、武蔵野台地を流れる川としては最大級の川だということを覚えておこう。

 

 豊島氏は石神井川最大の水源である三宝寺池のほとりに居城である石神井城を築き、赤塚の赤塚氏、志村の志村氏、葛飾の葛西氏などを支族として南武蔵に大きな力を持った。「足利武鑑」によればその石高は5万7500石。ちなみに一石とは人が一年間で食べるお米の量のことで、豊島氏は5万人以上の人々を抱えるだけの力があったということになる(実際に人口がそれだけあったかは分からない)。

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石神井城址

 しかし豊島氏は1476年、関東の大戦乱である「長尾景春の乱」に巻き込まれた。その時の当主であった豊島泰経は妻が長尾景春の兄弟だった事から(※諸説ある)景春側につき、景春討伐軍を率いた江戸城太田道灌と合戦になった。

 

 豊島氏は石神井城と練馬城から兵を率いて出兵し、江古田・沼袋原の戦いで道灌軍と激突そこで大敗し、石神井城も攻め落とされて滅亡した。従って練馬城は直接の戦場とはなっていないが、現在は住宅街となっている江古田から沼袋にかけてはかつて「豊島塚」と呼ばれる豊島氏の軍勢が葬られた塚がいくつかあり、宅地開発の際には大量の人骨が出土したそうだ。

 

 豊島氏の末裔を自称する人々は江戸時代、旗本の中に名前があったり、豊島氏の一族だった葛西氏は陸奥国中部(現在の宮城県岩手県南部)で大名となり豊臣秀吉の奥州仕置まで存続するが、南武蔵の豊島宗家はこうして室町時代後期に滅亡した。

 豊島氏が滅亡すると、その城は太田道灌によって破却され、練馬城は城山のみが残ることになった。

 

 ちなみに豊島氏については毎年5月に石神井城の城址である石神井公園で、彼らを偲ぶ照姫(てるひめ)まつりが行われている。区主催なので少し堅い感じもあるし、ちょっと着物が豪華すぎるのだが、機会があればぜひ行ってみて欲しい。

 また、豊島氏について興味があれば「豊島氏千年の憂鬱」という本が非常に充実した内容でまとめられているので読んでみて欲しい。

www.amazon.co.jp

 

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照姫まつりの照姫

ハイドロポリスの山が練馬城跡地

 ところで、豊島氏はなぜ今の練馬区向山に練馬城を築いたのか。

 その理由については資料として残されているものはないが、向山の土地の特徴を考えれば理解することができる。当時、武士というのは領主であり、領主にとって大事なのは領民の食べ物の確保であるから、食べ物を作る上で重要な水の要所に城を築いていたのだ。

 

 石神井城が石神井川最大の水源である三宝寺池のほとりに築かれたように、練馬城の周辺は石神井川に大小さまざまな支流や沢が流入するスポットだった。

 その最大のものはとしまえんから石神井川を上流へ500mほどいったところ、鉄塔の麓で合流している貫井(今は暗渠になっている)であり、練馬城も石神井川に注ぐ二本の沢と、石神井川の谷の三方向を自然の掘として築かれた砦だった。

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としまえんの地形(34m、40m等高線に着色)


 

 こういった沢は現在では谷底が埋め立てられ、地形が分かりづらくなっているものが多いが、としまえんの周辺に関しては正門を入ったところの土地が少し低くなっており、隣接する道路や向山庭園にも谷状の地形が続いていることで面影が残る。これが練馬城の東の沢だ。

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近隣道路に残る谷の地形

 城の西の谷は、流れるプールの真ん中にある競泳用プールの周辺が低くなっていたのがそれだ。流れるプールが谷をまたいでいるので少し分かりづらくなっているが、この地形も近接する道路まで谷が続いている。

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ハイドロポリスとその手前の競泳用プールの谷

 開園間もない頃のマップを見ると明確で、練馬城の城山を挟むように沢とプールが谷状に描かれている。ウォータースライダーの城:ハイドロポリスの山は、石神井川の水の要所:練馬城だったのだ。

 

 そして多くの人が気づいていないかもしれないが、今でもとしまえん付近の石神井川の護岸には湧き水が多く流れ出ている。コンクリート護岸になってもそこが水が豊かな場所である事は変わっていないのだ。

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としまえん内の石神井川と湧き水

ちなみに・・・

 ところで練馬城址豊島園のマップを見ると、「古城の喫茶」という建物がある事が分かるだろうか。城山の中腹に築かれた建物、実は今もその場所に残っている。

 それが、「木馬の会事務所」だ。

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木馬の会の建物

 なぜ日本の城跡に西洋風の建物なのか、と思う方もいるかもしれないが、この建物は豊島園のほぼ開園時からある築100年近い建物で、実際非常に趣がある。

 としまえんを城山からずっと見守ってきたこの建物は、としまえん閉園後も練馬城址公園の中に残して欲しいと個人的には思う。

 

 なお、初期の豊島園の地図や絵葉書をまとめているサイトを見つけた。
 ここに掲載されている地図にはこの建物を「古城食堂」、絵葉書では「古城の塔」と書いており、名称は固定されていなかったのかもしれない。
 またこのサイトの冒頭で紹介されている地図は1926年と非常に古く、競泳用プールが無くて小川が流れているのが必見だ。

http://web1.nazca.co.jp/fuk200260/page029.html

 

としまえんだったからこそ残された土地

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としまえん昆虫館とその林

 さて、先にも書いた通り景勝地だったとしまえんは時代とともに遊園地・テーマパークと姿を変え、練馬城にはハイドロポリスが建ち、石神井川も都市化で堀込式の河道となって大きく姿を変えた。

 

 しかしここがとしまえんだったからこそ残されてきたものがある

 

 城山の森石神井川と接する北側部分にまとまって残っている。

 また、昆虫館のまわりには、林床にアジサイが植えられた斜面林がある。この林はコナラやクヌギ等、武蔵野の雑木林を形成する樹種で成り立っており、先日放送された「鉄腕DASH」ではカブトムシやクワガタ、シャチホコガの他にタヌキの親子が生息している様子が紹介されていた。昆虫館では時々、この林で捕獲されたカミキリムシ等の甲虫類を展示していたのを覚えている。

 

 練馬区には東上線沿線にも兎月園という初期の豊島園と同じような庭園と遊園地があったのだが、1943年に閉園すると宅地化され、今では面影もあまり無いとしまえんは確かに時代の流れの中で石神井川の水と城山の緑からは離れて行ったが、としまえんのお陰で守られた自然もあったのは事実である。

 

練馬城址公園に期待する事

  としまえんの閉園には色々な声が上がっているが、個人的には時代の流れとして受け止めている。

 

 たしかにまだやりようはあったのかもしれない。利用者数は減ったとは言え、年100万人というのは日本のテーマパークの中では上位だ。

 ただし、昨年の決算を見ると純利益は50万円となっており、施設の補修やアトラクションの新築を見据えると非常に厳しい数字であることに変わりない。買い手がいるときに売ってしまうというのは経営判断としても間違っていないと思う。

 

 ただ、遊園地としてのとしまえんの歴史が終わるのであれば、水と緑にあふれる場所を活かして整備される事が私の願いだ。なぜならその面影がとしまえんによって残されているからだ。

 

 この土地にはとしまえんが残した緑がある。水辺は石神井川を活かせば再生できる。実際石神井川の流域では、東伏見や上石神井、南田中等で親水護岸が作られ水辺が再生しているところがある。

 としまえんが無くなっても、この土地が練馬の人々に愛される土地になる事を祈っている。

 

※在りし日のとしまえんについてはこちらの記事も読んでいただければ嬉しい。

hidephilax.hatenablog.com

夏休み直前!閉園前にとしまえんに行こう!

としまえんど!

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としまえん正門

 としまえん閉園が決まってから僕は既に2度、としまえんに行った。
 最初は7月の上旬。コロナの影響もあり、閑散とした園内に塗装の剥がれた絶叫マシンが稼働する姿は、まさに終わりを感じさせられる光景で、楽しさと同時に侘しさと物悲しさを感じた1日だった。

 2回目は8月の初頭。梅雨明けしたばかりの園内には、プール日和だった事もあってお客さんが詰めかけ、園内は活気に満ちていた。
 その様子は20年前の賑わいを彷彿させ、本当にこの風景があと一カ月で終わってしまう事が信じられないという気持ちになった。

 情緒的な言葉はまた別の日記で連ねるとして、ここでは最後にとしまえんを訪れる人々に、今も残っているアトラクションの中での僕のおススメを紹介したいと思う。ぜひ皆さん、としまえんの最後の姿を記憶の中に残しに行って欲しい。

目次

 


乗り物おススメベスト7

第7位 イーグル

 としまえんの乗り物の中で最も高さを楽しめる乗り物、それがイーグルだ。
 としまえんお得意の回転系乗り物だが、イーグルは回転速度は比較的遅く、横Gもあまりかからないので酔うこともなく、多くの人が楽しめる乗り物だと思う。
 おススメは夕方に乗る事。35mの上空から、としまえんの全景、練馬の街並み、そして遠くに秩父山塊の山並みを眺める事ができる。
 この眺めをぜひ、目に焼き付けよう!

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としまえん_イーグル



第6位 フリュームライド

 1970年からある川下り系の王道マシンとしまえんの中でも有名なアトラクションの1つ。
 最後に4.5mの急降下があるが、ほとんど水しぶきも浴びないので、気軽に楽しめることができる。
 派手さは無いが、水も綺麗でとにかく清涼感を感じられる気持ちのいい乗り物だ。

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としまえん_フリュームライド

第5位 ブラワーエンジン

 日本の多くのジェットコースターは「巻き上げ式」といって、最初にコースに設置されたチェーンで車両を最高度まで巻き上げ、あとは慣性で走らせるという方式なのだが、ブラワーエンジンは自走式。1両目の機関車型の先頭車のモーターによって走るコースターだ。
 ブラワーエンジンは時速36kmとコースターの中ではかなり遅い部類なのだが、見た目以上にスピード感があり、乗っていて楽しい。高低差もあまり無いので子供から大人まで楽しめ、しかも同じコースを3周もしてくれる
 ぜひ実際に乗って分かる爽快感を味わって欲しい。

 個人的にはこのコースター、場所もとらないので、としまえん閉園後は西武園とかに移設して残してくれないかなぁと強く願っている(レトロという西武園のテーマにも合いそうだし・・・)。笑

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としまえん_ブラワーエンジン

第4位 サイクロン

 1965年に作られ、今年で55歳になる老舗コースター
 スペック的には最高時速65km/h、最大高低差18mと、後続のコースターに追い抜かれてしまっているが、それでも登場時は「東洋最大のコースター」と呼ばれていただけあって、乗りごたえのあるコースターだ。
 二度の急降下のあと、石神井川を渡ってプールの横を通り、最後にトンネルを走るというコースも独特で楽しい。
 ぜひ王道コースターの雄姿を胸に刻んで欲しい。

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フリュームライドの横を駆け抜けるサイクロン

第3位 トロイカ

 としまえんは最初に紹介したイーグルのほか、マジック、ブレイクダンス、ウェーブスティンガー、スイングアラウンドなど数多くの回転系マシンが存在する
 その中で個人的に最も絶叫度が高いのがトロイカだ。

 スピード感のある回転に加えて上下の動きがあり、体に結構な遠心力がかかり、胃の調子によっては少し酔う。富士急ハイランドでも人によっては「FUJIYAMAよりトンデミーナの方が怖い」という人もいるがまさにそれで、個人的には正直サイクロンより遥かに怖い

 回転系マシンの王様と言って過言ではないトロイカは、1979年に登場した41歳のマシン。他遊園地での類似マシンが引退していった中、よく最後まで頑張ってくれた。ぜひ訪れたら記念に乗って欲しい。

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としまえん_トロイカ

第2位 フライングパイレーツ

 としまえんの中央で存在感を放つ二艘の大きな海賊船がフライングパイレーツだ。
 「パイレーツ」や「バイキング」など類似のマシンは全国にあるが、このフライングパイレーツは定員120名(コロナで半分の座席を閉じているが)と大きく、しかもアトラクション自体が建物の2階にあるので、地上45mを急降下するダイナミックさがある。
 僕の中ではとしまえんと言えば思い浮かぶのは中央でフライングパイレーツが動いている光景で、まさにとしまえんの象徴のような乗り物だ
 としまえんを訪れたときは必ず乗っていって欲しい。

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としまえん_フライングパイレーツ



第1位 カルーセルエルドラド

 としまえんが誇る機械遺産」に認定されたメリーゴーラウンド、カルーセルエルドラド。としまえんの会員が「木馬の会」、としまえんのマスコットキャラクターが「カルちゃん」「エルちゃん」である事から分かる通り、としまえんを代表する乗り物だ。
 デビューは1907年ドイツのミュンヘンでのオクトーバーフェストだったという歴史ある乗り物であり、その後アメリカの遊園地に設置されていたが、遊園地の閉園と同時に廃棄の危機にあったところをとしまえんが買い取り、コンテナ船6艘で運ばれてきたという経緯がある。
 エルドラドが「黄金郷」を意味するだけあって装飾も華やかで、この乗り物での撮影を目当てに訪れるゴスロリファッションの女性や、コスプレイヤーも結構見かける。
 としまえんで最も「映える」スポットと言ってもいいかもしれない。

 このカルーセルエルドラドについては多くの人は「当然残すでしょ?」と思っているが、先の予定は何も決まっていないのだという。
 西武園でも、閉園後の練馬城址公園でもどこでもいい。ぜひ「遺産」としてしっかりと残して欲しい。 

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としまえん_カルーセルエルドラド

 というわけで、としまえんの乗り物系をおススメしたが、としまえんにあるのは絶叫系アトラクションだけではない。施設系のアトラクションにも外せないものがあるので、そちらは別のランキングで3つ紹介する。

施設おススメベスト3

第3位 ミラーハウス

 部屋中鏡が張られた建物。合わせ鏡なので、どこに道が続いているのか、ぱっと見では分からず、迷路を歩いて進んでいく形になっている。
 シンプルだが合わせ鏡がこれだけある建物はほかになかなか無く、一度体験してみて欲しい。
 なお、子供は走って鏡に激突する事があるそうなので、子連れの方は気をつけよう。

第2位 トリックメイズ

 いわゆる巨大迷路だがアスレチック型5階建ての大型施設で最も難易度が高い知力コースは目安時間が45分とバカにできないスケールがある。
 ちなみ知力コースでも結構体を使って動き回るので汗だくになり、特に夏は暑い中、中にはもちろん自販機等も無いので、しっかりタオルと飲み物を持って挑もう!

第1位 昆虫館

 としまえんの北端の森の中にある建物。
 基本的には昆虫の標本が展示されているだけなのだが、その標本は世界の美しい蝶がアート的に飾られており、とても美しい。また、あまり知られていないが日本で初めてオオクワガタの繁殖に成功したという由緒正しい昆虫施設なのだ。

 男の子がいれば絶対に喜ぶスポットだと思うし、個人的には隠れインスタ映えスポットだと思う。この標本も閉園後、ぜひ練馬区の美術館とかで引き取ってもらって展示して欲しいなと個人的に願っている。

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としまえん_昆虫館

絶対にプールは外せない!

 さて、としまえんのアトラクションを紹介してきたが、それらはとしまえん石神井川の北側、あくまで半分の話であって南側はほとんどがプールのエリアであり、としまえんはプールで半分できていると言っても過言ではない遊園地だ。
 1961年にナイヤガラプールをオープンした後、1965年に世界で初めて流れるプールを設置したことはとても有名だ。
 それ以外にも、練馬城址の山に聳え立つ水の砦とも言うべきハイドロポリスは曲線型の大型スライダーとしては日本初のもので、夏のとしまえんの人気を支えてきた。

 ハイドロポリスは3つのタワーに分かれ、コースが合計9つあり、非常に種類も豊富だ。AタワーとCタワーはボディで滑るタイプ、Bタワーは浮き輪に乗って滑るタイプであり、Cタワーには曲線コース以外に22mの落差を一気に滑り降りる直線コースがある。

 オフィシャルには禁止しているが、この直線コースでは滑った後、水の上を上手く跳ねる事を競う常連さんたちがいる。ちなみに僕も挑戦したが全く上手くいかなかった。初心者は危ないので真似をせず、常連さんたちのテクニックを見て拍手を送ろう。笑

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としまえん_波のプール



注意!としまえんは現在チケット予約制

 さて、ここで注意をしておく。
 現在としまえんは新型コロナウィルスの影響でチケットは予約制になっている。
その日の思い付きで行っても入ることはできないのだ。

 かならず公式サイトで確認の上、チケットを購入してから入場するよう注意しよう。
 最後のとしまえんは計画的に!

www.toshimaen.co.jp

 

最後のとしまえんを楽しもう

 残り一カ月を切ったとしまえんではイベントも盛りだくさんだ。
 特筆すべきは8月に16回も花火大会が開催されること!打ち上げは20時から7分間だけだが、としまえんを一日楽しんだ最後の締めに花火を眺め、思い出を彩ろう。

 ちなみに今週末以降の開催予定は下記の通りだ。ホームページでもチェックし、万全を期そう。

 

7(金) ・ 8(土) ・ 9(日) ・ 10(月) ・ 11(火) ・ 12(水) ・ 13(木) ・ 14(金) ・ 21(金) ・ 22(土) ・ 23(日) ・ 28(金) ・ 29(土) ・ 30(日)

www.toshimaen.co.jp

 

 それ以外にもプールでウォーターマーメイドパレードプロジェクションマッピングが行われたり、泡パーティーである「あわあわアワー」、豪華アーティストを迎えてのミュージックライブステージもある。

 とにかく8月はイベントが盛りだくさんだ。詳細は「-THANK YOU FOR EVERYTHING.-」に掲載されているので、事前に必ずチェックしよう。

www.toshimaen.co.jp


 100年近い歴史を誇るとしまえんグランドフィナーレ。
 働いている職員さんたちにも敬意を表しながら、最後の最後まで遊び尽くそう!

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としまえん_花火